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作家の山内マリコさん=東京都中央区、井手さゆり撮影

Re:Ron連載「永遠の生徒 山内マリコ」第4回【エッセー編】

 7月の週末、新刊の出版記念イベントのため地元・富山に帰郷した。わたしと、同じく富山出身の上野千鶴子さんの共著である『地方女子たちの選択』は、富山県に縁のある女性たちのライフヒストリーが大きな読みどころ。富山にとどまった女性、富山を出た女性、一度出た富山にUターンして戻ってきた女性、Iターンで富山に移住した女性。60代から20代まで、14人が聞き取りに参加し、生い立ちから進学、仕事、結婚生活、子育て、介護などを語っている。版元も、富山で長く続く「桂書房」という小さな出版社だ。

 といってもこの本がテーマとしている問題は、もちろん富山という一地方に限った話ではない。地方から都市部へ「出産可能な若年女性」が“流出”しているという話題が、10年ほど前から社会問題としてニュースで取り上げられるようになった。今現在も、女性をやたら「出産」と絡めてなにかを主張したがる人々があとを絶たない。ある種の男性たちの目には、女性は単なる「赤ちゃんを産んでくれる人」にしか見えていないのだろう。

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 女性と「出産」を絡めたがる人のなにが問題か。上野千鶴子さんの著書『〈おんな〉の思想 私たちは、あなたを忘れない』(集英社文庫)の中に、国家がいかに女性の身体に介入してきたかを暴く、こんな一節がある。

 「近代国民国家のなかで、性行動と妊娠・出産の統制を通じて、人口の質と量の管理を試みなかった国家はない」「女の子宮は男のもの、いえ、おクニのもの」。戦時中は兵隊を供給するため、「産めよ殖やせよ」が国策だったことは学校でも教わる。けれど、戦争に負けたあと、その国策が人々にどんな影響を与えたかはあまり知られていない。

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 先日観た『金語楼の子宝騒動』という、昭和24(1949)年公開の映画がちょっと面白かった。「銀行の警備員・金太郎は戦時中の産めよ殖やせよが祟って、貧乏暮しに十三人の子持ち。おまけに孫も三人」。あらすじのこんな一文からも、当時のリアルな空気感が伝わってくる。

 戦争中は国策におだてられて子作りに励み、表彰までされた一家。ガラリと風向きが変わった戦後、ただの「貧乏人の子だくさん」となった一家の生活はなかなか深刻だ。

 英語の辞書も買ってもらえず向学心をへし折られた六女(久我美子)は、「こんなことならあたしなんか産んでくれなきゃよかったのに」と恩知らずな暴言を浴びせてグレてしまう。父(柳家金語楼)は、「おだてに乗って、いい気になって子どもこしらえてきたんだ。そう子どもにクソミソに言われりゃあ世話ねえや」と、戦時中に撮った華々しい家族写真をヤケになって投げ捨てる。

 口減らしのために可愛い七女(美空ひばり、当時12歳!)を養女に出すことになるわ、妻(浦辺粂子)も過労がたたって急逝するわ、犠牲になるのはそろいもそろって女たちだ。映画はコメディーでありつつも、「貧乏人の子だくさん」の生活の苦しさはまったく笑えない現実であることを強調している。家庭の経済状況をかえりみない「産めよ殖やせよ」は、今風に言えばただの「多産DV」なのだ。

 この手のホームドラマは結局「なんだかんだあるけど、にぎやかな家庭は幸せ」という、ほのぼのした着地をキメて丸く収めがちだが、本作は口が裂けてもその手のまやかしは言わない。その代わりストーリー全体から、「産めよ殖やせよ」がいかに愚策だったか、それによっていかに庶民が苦しんでいるかがヒリヒリと伝わってくるのだった。

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 いきなり話が『金語楼の子宝騒動』に脱線してしまったが、とにかく新刊『地方女子たちの選択』は、普段インタビューマイクを向けられることのない女性たちこそが主人公。

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上野千鶴子さんと山内マリコさんの共著『地方女子たちの選択』(桂書房)

 現在60代の女性は、4年制大学への進学を「女に学歴はいらない」と言われ、親に反対された人が多い。しかし彼女たちはそのことを「女性差別」だと認識して、反発したわけではない。「そういうものか」と当たり前のこととして受け取っていた。

 若いうちは、女性差別の構造に気づいていない人は多い。女性たちの人生は、学生でいる間はおおむね守られている。ところが職業選択のあたりから逆風は強まり、結婚でピークに達する。結婚制度こそ、女性差別の温床なのだ。

 結婚が「女の幸せ」という決…

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