文芸評論家で日本映画大学准教授の藤田直哉さんが6月にblueprint社から出した「宮崎駿の『罪』と『祈り』 アニミズムで読み解くジブリ作品史」を読みました。軍需工場経営者だった父・勝次さんの「罪」である「科学・戦争・資本主義」と、昔話や民話を駿少年に聞かせた母・美子さんの「祈り」である「アニミズム」、この二つの流れがせめぎ合って宮崎アニメができている、という見立てです。
6月30日の本欄「宮崎駿はご都合主義ではなく戦後民主主義」で渡邉大輔さん著「ジブリの戦後 国民的スタジオの軌跡と想像力」(中央公論新社)を評した際、私は宮崎アニメの構造を「男性原理を女性原理が乗り越える(包み込む)」と書きました。科学・戦争・資本主義を男性原理とするなら女性原理の方はアニミズム・平和・労働共同体あたりだろなと思いますが、藤田さんはアニミズム一本。1978年の「未来少年コナン」から2023年の「君たちはどう生きるか」までを「アニミズムⅠ」から「アニミズムⅩ」へ発展する一種の進化史として追います。
- 宮崎駿はご都合主義ではなく戦後民主主義
あちら「父と母」こちら「男性原理と女性原理」、根本のとらえ方が近いので共感しうなずく部分が多いです。「コナン」のラナ、79年の「ルパン三世 カリオストロの城」のクラリス、86年の「天空の城ラピュタ」のシータら「罪深い過去」を背負ったヒロインに宮崎さんは自分を重ねている部分がある、という指摘はなるほどと思いました(p.25~26)。
ただ疑問も幾つかあります…