1980~90年代に若者たちが巻き起こした「小劇場ブーム」。その中から生まれた「劇団☆新感線」は、大劇場を何カ月も満員にする大劇団になりました。魅力の一つは、座付き作家・中島かずきさんがつづる物語です。歌に踊りに派手なアクション、時にはおバカな笑いも盛り込んだ奇想天外な筋立てに、太い芯を通す中島さんが、創作の裏側を語ります。
リレーおぴにおん 「つづく」
大阪芸術大学の学生たちが作った「劇団☆新感線」は、今年で旗揚げ45年になります。僕は参加して40年。改作再演も含めて62本を書き下ろしてきました。長く続く劇団ですが、昨年上演した「バサラオ」の観客は15万人で過去最高。いまなお成長する集団でもあるんです。
主宰者の演出家いのうえひでのりとは福岡県の高校演劇で知り合いました。学校は別々でしたが、ともにエンターテインメント志向で気が合い、僕が東京の立教大学に進んでからも交流が続きました。
僕は出版社に就職しましたが、当初は希望の部署ではなく、不本意な気持ちがあり、いのうえに連絡して芝居を書き始めました。新感線がオリジナル戯曲に力を入れ始めた時期でタイミングも良かった。ただ、不思議なもので、自分が動くと周りも動き、同じ頃に会社では望んでいた漫画誌の編集部に異動。その後は周囲の理解もあって2010年まで、出版社社員と劇作家の「二足のわらじ」でした。
うねりのある物語、「いのうえ歌舞伎」とも呼ばれるダイナミックな演出、魅力ある俳優。この「三位一体」が新感線の舞台です。僕が担う物語の部分では、観客としての自分が納得できるかどうかをまず考えます。主要な役に人気スターを迎えることが多いですが、その人のいいところを見たいという観客の期待には絶対に応え、その上で、想像を超えた役柄やストーリーを提示できるかに毎回腐心しています。それが自分が見たいものでもありますしね。
初期代表作「阿修羅城の瞳」、歌舞伎へ、宝塚へ
最初に手応えを感じたのは…