「お店、なくなっちゃうんだってね」
2024年の秋のはじめ、金沢玲子(53)はなじみの客から、そう声をかけられた。
日本を代表する老舗料亭、なだ万の本店「山茶花(さざんか)荘」のおかみだ。
店は東京・永田町に近い高級ホテルの日本庭園の中にある。
夜な夜な、政財界の要人たちが集まる。
閉店のうわさが、一部の常連客の間で駆けめぐっていた。
「そうなのですか? 私もそこまで分からなくて……」
金沢は言葉をにごして、ほほえんだ。ただ、実際には閉店の情報を耳にしていた。
「忘れよう、忘れようと。目の前のお客さまに集中し、つらい現実を直視しないようにしていました」
漱石が食べた レーガンも飲んだ
なだ万の歴史は、初代の灘屋萬助が1830(天保元)年、大阪で開いた料理屋に始まる。
数々の文化人や政財界人が、その料理を愛した。
夏目漱石も1912年から朝日新聞で連載した小説「行人(こうじん)」で書いている。
「灘万のまな鰹(がつお)とか何とかというものを是非父に喰(く)わせたいと云(い)い募った」
86年の東京サミットでは、山茶花荘が公式晩餐(ばんさん)会の会場に選ばれ、首相の中曽根康弘や米大統領のレーガンらをもてなした。
93~99年に放映されたテレビ番組「料理の鉄人」では、当時の調理本部長が2代目「和の鉄人」を務め、お茶の間にも知られた。
ただ、複数の関係者の話を総合すると、10年ほど前から、歯車がすこしずつ狂い始めたという。
きっかけの一つは、2014…