【動画】基町高校の油絵教室=佐藤慈子撮影
静まりかえった校舎の中で、にぎやかな声が聞こえてくる教室があった。広島市中区の広島市立基町(もとまち)高校の油絵教室。
「どうしよう、ピンクの人になっちゃったんですけど! やけど、むずすぎる」
「ねえ~、描き込めば描き込むほど、遠くなっていくのはなぜ?」
生徒たちが描いているのは、原爆の絵だ。深刻な場面を描きながら、思い思いに大きな独り言を言ったり、冗談を言ったり。一気に描き進めようと、春休み中も連日、登校していた。
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広島市立基町高等学校(創造表現コース)の生徒は2007年度から、被爆体験を語る証言者と共同で「原爆の絵」を制作している。広島平和記念資料館の事業にボランティアとして参加し、これまでに222点の絵が描かれてきた。
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橋本一檎(いちご)さん(17)は、黙々と絵筆を滑らせていた。
全身大やけどを負った父が、子どもに棒をつかませながら、家族全員を救護所まで誘導している場面を描いている。
絵の依頼者は、被爆者の内藤慎吾さん(86)。この日は、6回目の打ち合わせだった。話し合いながら、細部を詰めていく。
「空が強いかな。これだと人物が浮き上がってこない」
「もう少し明るく、ですかね?」
「夕暮れのような感じだったな」
「夕暮れ……、夕焼けですか?」
「うーん、夕方といっても夏の5時6時ぐらいやからね。一度暗くなった空に明るさが戻ってきたような感じやったな」
橋本さんはうなずきながら、パレット上で求められる色を模索し始めた。
【動画】夕焼け前の明るく青い空の色…ってどんな色?=佐藤慈子撮影
内藤さんからOKが出た後、絵のタイトルが「一本の棒切れで繫(つな)ぐ家族の愛」と知らされた。感動した橋本さんは、納得するまで描きこみたいと、6月下旬にあった完成披露会当日まで、修正を続けた。
橋本さんが基町高校に入学したのは、募集要項に「平和について深く考える」とあるのを見たからだった。そして、原爆の絵の活動を知り、「私がやりたいのは、これだ」と思って参加した。
「自分の力は、すべて出し切りました。この先、原爆の絵を描く機会はないかもしれないけど、証言者の方が生きておられるうちに、世の中の核兵器をゼロにするために、本気で動いていきたい。これが私の夢のひとつです」
【動画】「一本の棒切れで繫ぐ家族の愛」。空の色、父親の服、周りの人などが描き進めるごとに変化します=橋本一檎さん提供、佐藤慈子撮影
二人三脚で描く
記憶の場面を言葉で伝え、一枚の絵にしていく行程は、まさに二人三脚の作業です。どのようにして言葉を絵に翻訳するのか。そもそもなぜ描くのか、何を伝えたいのか。動画や写真を織り交ぜながら全6回の連載でお伝えします。次回は29日6時配信予定です。