■■ナガサキノート 守沖佳代子さん=1937年生まれ
「原爆がもたらした結果として、私らが経験したことを本当、させたくないですね」
長崎市出身の守沖佳代子さん(88)は、いま広島市で暮らしている。毎年、原爆の日の8月6日と9日はテレビで慰霊式典の中継を見ながら、犠牲者に祈りを捧げる。
長崎原爆で父を亡くした。その後、母も病気で失った。守沖さんら3姉妹は親戚の家に引き取られ、別々に暮らすことになった。
「どちらかというと、あまり思い出したくはなかったかもしれませんが、悲しい思い出が多かったからね」。そう言って、体験を語った。
1945年8月、当時8歳の守沖さん一家は長崎市の今町(現在の金屋町付近)で、両親と、それぞれ3歳ずつ年下の妹2人と暮らしていた。
当時、「長崎に新型爆弾が落ちるらしいといううわさが流れた」。家族は8日、自宅から何キロも離れた集落に避難したが、何も起きなかった。
翌日、爆心地から約1.3キロの三菱兵器製作所の工場で働いていた父は、朝から工場に向かった。母は「今日だけもう1日休んで下さい」と呼び止めたが、「そういうことを言っていたら仕事にならない」と浦上方面まで歩いていった。
午前11時2分。爆心地から…