太平洋に浮かぶマーシャル諸島のビキニ環礁とエニウェトク環礁では、米国が1946~58年に計67回の核実験を行いました。ビキニで54年3月に行われた水爆実験は、漁船員らが被曝(ひばく)した「第五福竜丸事件」でも知られています。ビキニの人々は今も故郷を追われたままです。かつてビキニ環礁の首長を務めたアルソン・ケレン氏は、広島・長崎への原爆投下80年となる今年、「核の遺産を持つ世界の人々が連携すべきだ」と語ります。
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――ビキニ環礁は現在、どんな状態ですか。
誰も住まない美しい場所
2年前に訪れましたが、魚と自然が豊かな美しいところです。放射能のせいで誰もいないのは悲しい状況です。
私は父母がビキニから退去させられていた68年に別の場所で生まれました。米政府は(強制移住させた島民の)ビキニへの帰島許可を出しました。
(その後、残留放射能の検出などで混乱した後に)父母が帰島したので、私は70年代(75~78年)にビキニで暮らした子どもの一人です。放射線は見えないし、米国からも安全だと言われていたので、そのように信じていました。
でも、米政府は住民に対し、無料健康診断の名目で、ひそかに放射線の影響をチェックしていました。そして78年、(危険だと判断した米政府の再退去命令により)3隻の船でビキニを離れ、マーシャル諸島のキリ島に移りました。
ただ、キリ島は岩だらけで波が荒く、1年のうち7~9カ月は釣りができません。ビキニはカヌーが発明された島ですが、キリ島ではその文化も航海術も失われました。住民は(米国が支給する)加工食品や鶏肉、コンビーフ、缶詰しか食べなくなりました。それで健康を害した人もいます。「ビキニに残れば放射能で、キリ島に住むと加工食品で、それぞれ死んでしまう」と言われました。その後、(ケレン氏を含む)78人がマジュロ環礁のエジット島に移り住みました。
■「人類の平和のために」 ビ…