沖縄戦の激戦地だった伊江島で、敗戦を知らず約2年間、木の上で生き延びた2人の日本兵を描いた映画「木の上の軍隊」が公開中だ。モデルになった兵士の一人は宮崎県小林市出身の山口静雄さん(1988年死去)。帰郷後、再び沖縄を訪れることはなかったが、沖縄との縁は持ち続け、命をつないだ状況を次男の輝人さん(87)らに語っていた。
静雄さんは1909年生まれ。輝人さんによると、若い頃は競走馬の種馬を飼い、授精のため馬を連れて周辺の地域を回っていた。「その後、家の農業を継いでコメや芋をつくっていた。本人の書き残したものによると、最初に召集されたのが昭和6(1931)年、台湾に行ったとあった」
その後は戻ったり、また台湾に行ったりしていたのではないか、という。「沖縄に行ったのは昭和17(1942)年と思う。鹿児島から出港した船が魚雷にやられ、泳げないがその時も命拾いしたと話していた」
輝人さんが生まれたのは37年だが、沖縄に行く前の父の記憶はない。ある時、「沖縄に行っているが元気にしてるだろうか。写真を送ろう」と母が言い、きょうだい4人と母で写真館に行った。こうしたことから父が沖縄にいるのは知っていた。写真を入れた手紙への返信はなかった。恐らく戦況が激しくなり届かなかったとみられる。
伊江島には米軍が45年4月16日に上陸し、5日後に占領。日本側は軍人約2千人、村民約1500人が犠牲になったとされる。しかし戦後も静雄さんの無事を周囲は疑っていなかった。
「隣町に住む伯父たちが夜うちに来て、『元気に帰ってくるように』と言いながら焼酎を飲んでいた」
突然戻って来た父
輝人さんが小学校低学年ぐら…