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 聖隷クリストファーの上村敏正監督(68)は、1984~93年に浜松商を春夏7度、2009年春に掛川西を甲子園に導いた。初戦で明秀日立(茨城)を5―1で破り、32年ぶりの甲子園1勝をあげた。「今までとは全然違う感じ。重みが違う」と語るほど、これまでの道のりは長かった。

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聖隷クリストファー―明秀日立 六回表、選手に指示を出す聖隷クリストファーの上村敏正監督=関田航撮影

 聖隷の野球部は創部41年目。2017年秋に就任した上村監督のもと力をつけ、選手権大会が中止された20年夏、静岡県の独自大会で優勝した。21年秋は東海大会で準優勝し、翌春の選抜大会出場が有力視されたが、選出されなかった。

 昨夏の静岡大会は準優勝。あと一歩で届かなかった甲子園。「もう一生行けないんじゃないか、神様が見放しているのかと思った。自分のやっていることが合っているのかと、思うことが多かった」。指導に自信を失いかけたこともあったと振り返る。

 母校でもある浜松商、掛川西など4校で計26年間、野球部の監督を務めた後、いったん指導の現場を離れたが、聖隷で再び監督に就いた。

 20年からは校長も兼ねる上村監督を、聖隷の選手も、かつての教え子たちも、「上村先生」と呼び、慕う。

 浜松商時代の教え子で主将を務めた藤原英祐さん(47)は「監督である前に教員という姿勢は、ずっとぶれない」と評する。高校で野球に打ち込めるのは3年間。「その先の人生の方が長い。野球以外の普段の行動はプレーに出る、という考え方」と話す。上村監督を追って自らも高校教員の道に進んだ。

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ノックをする上村敏正監督=2025年8月3日午前9時7分、阪神甲子園球場、斉藤智子撮影

 在学中は甲子園出場はなかった。今は聖隷野球部父母会の会長を務め、息子の龍之介さん(3年)は学生コーチとして選手をサポートする。「上村先生と一緒に甲子園に来るのに、30年かかった」と、喜びをかみしめる。

 「頭とハートを使う野球」という方針を貫いてきた。ボールが動いていない時間に次の展開を考え、備える。ここぞの時は勇気を持ってプレーする。

 掛川西で指導を受け、聖隷の責任教師を務める加茂勇作教諭(36)は考えることの大事さと心の鍛え方を学び、大学や社会人野球で生きたという。「野球は能力でやるスポーツじゃない。心理面に左右される、と。僕の時も、今もずっと言われている」

 「ここというところで力を出すには、能力も大事だけど、最後はやっぱり心の強さ。絶対やってやるぞ、という気持ちと、集中する気持ちをつくるのは普段の心がけ。そういうことが大事だと思った」

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勝利を喜ぶ聖隷クリストファーの選手たち=関田航撮影

 初戦で緊張気味の選手たちに、上村監督は「誰もが憧れる大舞台を楽しんで」「いい顔でやれ」と声をかけた。試合後、高部陸投手(2年)ら選手たちは口々に「上村先生に1勝をプレゼントできてうれしい」と語った。

 さらに次の1勝を「プレゼントしたい」と4番の渡部哉斗選手(3年)は言う。2回戦は15日の第2試合、西日本短大付(福岡)と対戦する。

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