現場へ! 老いたデカセギ日系人(1)
「ちょっと転んじゃって」
日系ブラジル人の藤田パウロさん(80)は、恥ずかしそうに額のばんそうこうをさすった。
外国人が住民の半分以上を占める愛知県豊田市の保見団地で、2017年から「ケアセンターほみ」のヘルパーとして働く。障害のある子どもらが通ってくるが、大半は外国人だ。ブラジル人にはポルトガル語、ペルー人にはスペイン語で話しかけ、笑顔を絶やさないようにしている。
「この年齢でも、使ってくれるならありがたい。なんとか生きてきましたから」
穏やかな笑顔の奥には、祖父母の時代から日本、ブラジルのはざまで歩んできた家族の苦労がにじむ。
ブラジルへの移民は1908年、781人を乗せた「笠戸丸」の出港から始まった。日露戦争後の不況で失業者があふれ、ブラジルでは労働力が不足していた。国は渡航費を援助し、移民を奨励した。
大阪で生まれた母、岡山で生まれた父も戦争後、それぞれ軍人だった親に連れられ、ブラジルに渡ったという。
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