Smiley face
写真・図版
育成功労賞を受賞した品田義雄さん

 高校野球の発展や育成に尽力した指導者を、日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰する「育成功労賞」に、南北海道から函館支部の品田義雄さん(67)が、北北海道から名寄支部の丸山功さん(66)が、それぞれ選ばれた。

品田義雄さん「軟式は野球を続けるための居場所」

 現在、函館ラ・サール中学校高等学校講師の品田義雄さんは「このような賞を頂けることは大変光栄なこと」と話した。

 函館ラ・サールの卒業生で、母校に英語教師として着任。1985年から2024年まで通算39年間、軟式野球部の監督や部長を務め、チームを全道大会や全国大会、国民体育大会の出場へと導いた。

 品田さんは野球は未経験。子どもの頃に友だちと遊んだ程度だったという。

 指導のきっかけは、品田さんの担任したクラスの生徒が声をあげたこと。同好会として活動を開始し、翌年、部に昇格した。

 野球のルールや戦略が書かれた本を買い込み、一から勉強した。経験がないからこそ、生徒が試合で持てる力を100%出せることを第一に考える指導方針が功を奏した。91年には全国大会で花園(京都)を下し、1勝を挙げた。

 指導者としてだけでなく、2000、01年度と20、21年度の2期4年にわたり、函館支部の事務局長を務めた。硬軟を問わず高校野球に携わった。

 品田さんが函館ラ・サールを退職した24年3月、同校の軟式野球部員は0人になり、廃部になった。「軟式は硬式ほどは打ち込めないが、心から好きという生徒が野球を続けるための居場所になっている」と品田さん。全国的に軟式野球部の数は減少傾向にあり、「野球全体の未来のためにも軟式が残ってほしい」と話した。

丸山功さん「グラウンドは生活の鏡」

 北北海道から育成功労賞に選ばれた丸山功さん(66)は約27年間にわたり、千歳北陽や名寄などで監督や部長を務め、道高野連名寄支部の道理事や事務局長を歴任した。

 「『目標は甲子園』なんておこがましくて言えなかったけど、生徒と一緒に野球をやるのが楽しかった。それがたまたま野球だった」

 中学高校はバスケットボールに打ち込んだ。野球との関わりは2カ所目で赴任した穂別から。野球部の指導者がおらず、体育教諭の丸山さんに白羽の矢が立った。野球は小学校で友達とやった程度で、「どうやって練習したらいいかも分からなかった」。指導経験があった校長に、ウォーミングアップやシートノックの仕方など、一から教わった。

 次に赴任した千歳北陽でも部長や監督を務めた。生徒が野球をやりやすい環境づくりをめざした。いらなくなった小さなガレージを譲り受け、ウェートトレーニング場を作ったことも。部員減で大会に出場できない年は、選手たちのキャッチボール相手にもなった。

 2000年に母校の名寄に戻ると、遠征のために大型バスの免許を取得。練習試合に道内を走り回った。指導で心がけたのは、生活面や礼儀など。「グラウンドは生活の鏡」が信条。「日頃からだらしないと、ここぞってところで1球に泣く」。トンボのかけ方に気持ちが入っていないとやり直させることも。生徒たちも気持ちに応え、名寄では部長と監督で計3回北北海道大会に進出した。

 負ける試合の方が多かったと振りかえる。それでも「1、2回戦で敗退したとしても、思い切りやって、最後の夏をやりきった充実感で泣いて終わってもらえたら」。その一念で続けてきた。「教師にとっても、そこが魅力だから、ここまで続けられたんです」

共有