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奈倉有里さん=本人提供

Re:Ron特集「考えてみよう、戦争のこと」ロシア文学研究者・翻訳家 奈倉有里さん

世界中で戦禍は絶えませんが、国内では戦争の記憶が薄れていきます。戦後80年のいま、文学やアートなど様々な形で戦争と向き合ってきた人たちに、子どもたちに伝えたい、一緒に考えたい「言葉」をつづってもらいました。

 2003年の3月、イラク戦争がはじまりました。

 このとき私はちょうど前年の末から、自分にとって初めての本格的な海外滞在となったサンクトペテルブルクで、ヨーロッパを中心とした世界各地からの留学生たちと一緒にロシア語を学んでいました。ソ連が崩壊して11年ほどしか経っておらず街のあちこちにソ連時代の名残がみられるなかで、ドイツ、フランス、イタリア、イラン、韓国、中国などから来た同世代の若者たちと、寮や教室で毎日顔を合わせ、輪になって学ぶということ、そしてその共通言語がロシア語だということ(学習意欲のあるクラスの学生たちのあいだには、誰が決めたわけでもなく「意地でも英語は使わないぞ」という暗黙の了解がありました)がとても面白く、なんだか地球のどこの人とでも友達になれそうな気持ちでいた――そんなさなかに起きた、「イラクが大量破壊兵器を隠しているのではないか」という臆測を名目に始まった不条理な戦争に、ひどく衝撃を受けました。

 そして初めての一時帰国で日本に戻った2003年の夏、私は小学校時代からの幼なじみ2人と近所の公園に集まり、いまこの戦争という現実に対して自分たちはどうしたらいいのか、なにができるのかを話しあいました。世界の政治やお金の動きの話もしました。当時の私たちには理解しがたいような産業や経済の仕組みもありましたが、大人たちが戦争にどんな理由をつけようとも、世界のどこの地域にでもいる子供たちを戦争に巻き込むのは、あらゆる場合において間違っている。戦争が続くかぎり、いちばん未来のあるはずの子供が死傷したり親を亡くしたりして犠牲になり続けるということが、ようやく大人になろうとしていた当時の私たちにとって、最も身近で許し難いことでした。

 私たちは手近にできることを探し、まずデモにいくことにしました。友達と一緒にデモに行くのはそれが初めてでした。戦争反対の声をあげ、街を歩きまわります。戦争のニュースに心を痛めて焦りを感じるなかで、「私たちはいま、同じように戦争は嫌だと訴える人々のなかにいる」と感じることができたことが、じわりとうれしかったのを覚えています。けれども家路につき、地元に戻ってきたとき、友達のひとりが、「なんか違う」と言いだしました。「だって、これで満足したってなにも変わらないよ、どうしたら変わるのかわかんないけど、これじゃ私たちはなんにもできないままだよ」と。

 もちろんそのときのその子も…

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