ハワイで銀行家として働く父が、子ども時代に広島で被爆していた。
一緒に暮らしてきた父の秘密を、日系米国人のステファン・ヒロシ・ミワ(61)が知ったのは10代前半。「ミワ家は、運がない」という、母の一言をきっかけに、家族の歴史に好奇心が湧いた。かたくなに過去を話さない父の代わりに、父と共に広島で育ち、ハワイで近所に暮らす伯母に尋ねた。
「本当に知りたい?」伯母は話し出した
「本当に知りたい?」。伯母は青ざめ、せきを切ったように被爆体験を話し出した。
「みんな死んだ。ほとんど誰も生き残れなかった。軍も、助けることができなかった。友人は一面にガラス片が突き刺さっていた」
「もっと知りたい?」
伯母が泣き出し、それ以上はとても聞けなかった。
米国で生まれ育ったステファンには、学校で原爆を習った記憶が、ほぼない。
成人後、一家の戸籍を日本から取り寄せるなどして、家族の歴史を調べ始めた。
浮かび上がったのは、旧日本…