おなかの子の父親は実父だと認めるよう迫ってくる3人の大人には、不信感しかわかなかった。
児童相談所と保健所の職員と母子相談員。
妊娠がわかった中学2年の私に、3人は父親を明かさないなら母子手帳を出さない、と言ってきた。それでも、黙っていると、姉とともに避妊リングを入れることを承諾すれば、母子手帳は出すと言われたと記憶している。
東京都内に暮らす40代の女性が、壮絶な体験を語ります。14歳で実父の子どもを産み、17歳のときに2人目の子どもを妊娠します。なぜ彼女は実父の子どもを2人も妊娠・出産しなければならなかったのでしょうか。(3回連載の2回目です)
母子手帳がないと、生まれてくる子どもが予防注射や健診を受けられない可能性もあると言われ、避妊リングの提案に従わざるをえなかった。
いま振り返ると、あのときに「性虐待を受けていると認めたら姉といっしょに保護する」とか、「戸籍は空欄にできるから心配はいらない」とか言ってくれれば、父親のことを素直に認めることができたと思う。でも、そんな言葉はなかった。
絶望しかなかった。
再び帰された父のいる家
結局、おなかの子の父親が誰かを明かさないまま、私は14歳で出産した。3120グラムの女の子だった。
病院では丸1日、ひとりぼっちで陣痛に耐えた。隣の産室からは、いきんで声を上げる妻に夫が付き添い、励ます声が聞こえてきた。「20歳になったら家を出なくては」。はっきりとそう思ったことを覚えている。
出産費用は、30万円ぐらいだった国民健康保険の出産祝い金(出産育児一時金)でまかなったと思う。
中学3年の春、父との間にできた、生まれたばかりの長女を抱き、父のいる家に帰された。出産してから1カ月ほどして、出産した病院で、魚の骨のような形をした避妊リングを入れられた。
家には、父のほかには知的障害のある一つ上の姉しかいなかった。赤ん坊の世話は、自分でするしかなかった。
生まれたばかりの長女は体が弱かった。母乳を飲んでは吐き、頻繁に病院に連れて行かなくてはならなかった。
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