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1945年2月、ソ連・ヤルタ近郊で開かれた会談で、着席するチャーチル英首相(左)、ルーズベルト米大統領(中央)、スターリン・ソ連首相。米国国立公文書館の陸軍通信隊コレクション=米海軍歴史遺産司令部のホームページから
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 今から80年前の1945年8月、米統合参謀本部の下部組織、統合戦争計画委員会(JWPC)は、日本を米英ソ中の4カ国で分割する計画案を提示していました。防衛研究所戦史研究センターの花田智之主任研究官は、4カ国分割が幻に終わった背景について、第2次世界大戦末期から始まった米ソ対立の観点からも考察する必要があると指摘します。

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 ――米国の日本統治計画はどのような推移をたどったのですか。

 米国の国務省、陸海両軍による三省調整委員会(SWNCC)は45年6月11日、「日本を米軍の軍政下に置く」とする対日基本方針を決めました。しかし、知日派のジョセフ・グルー国務次官(元駐日大使)らが、日本の軍国主義を打倒すれば、国内の「民主主義的傾向」を復活・強化できるとして、日本の統治機構を残した形での間接統治も可能だと主張しました。実際、SWNCCが同年8月11日に出した文書は、米軍による軍政ではなく、間接統治の意味合いが含まれていました。

 ――なぜ、4カ国分割統治案が生まれたのですか。

 JWPCは45年8月16日、日本占領のために連合国軍の支援を求める「4カ国分割統治案」を提出します。この案は、占領開始期は米軍が単独で占領することを前提としたものの、その場合に日本各地での組織的抵抗に備えるために23個師団・80万人以上の兵力を必要とすると試算しました。米軍単独では負担が大きいとの判断から、連合国軍の支援を仰ぐのが望ましいという結論に至ったようです。

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