アンパンマンを生み出した漫画家のやなせたかしさんと小松暢(のぶ)さんの夫婦をモデルに描く、NHKの連続テレビ小説「あんぱん」が、9月26日の最終回まで残りわずかとなりました。
国民的キャラクター「アンパンマン」の誕生まであと一歩のところまで来ていますが、最終盤まで戦争の影を色濃くただよわせる展開となっています。
脚本の中園ミホさんは、やなせさんとの不思議な縁や、ドラマを見た現代の女性たちから聞こえた「のぶは私」という叫びに驚いたと話します。中園さんへのインタビューを2回にわたってお伝えします。
- (インタビュー後半)あんぱん、戦禍の時代に引き継ぐ「ばいきんまん」の正義とかっこ悪さ
中園ミホ
なかぞの・みほ 東京都出身。広告会社勤務、占師などを経て脚本家に。2007年「ハケンの品格」で放送文化基金賞、13年「はつ恋」「ドクターX 外科医・大門未知子」で向田邦子賞を受賞。連続テレビ小説は「花子とアン」、大河ドラマは「西郷どん」を手がけてきた。
――やなせさんとは、幼い頃に不思議な出会いがあったそうですね。
ただの「ご縁」という言葉では足りないほどの出会いだと感じています。
最初は6歳のとき。百貨店の催しで、漫画家の先生方が並び、順番に似顔絵を描いてくださる会がありました。たまたま私の順番がやなせさんで、描いていただいたのです。「あんぱん」の脚本に取りかかろうとした時、押し入れから偶然その似顔絵が出てきて、すっかり忘れていた記憶がよみがえりました。
やなせさんとは10歳の頃から文通をしていました。父を亡くし、孤独に打ちひしがれていたときに出会ったのが、やなせさんの詩集「愛する歌」でした。
〈たったひとりで生れてきて たったひとりで死んでいく 人間なんてさみしいね 人間なんておかしいね〉(原文ママ)
子どもには寂しく響く言葉かもしれません。でも、私には救いの言葉でした。私だけが特別にかわいそうなのではない、人はみな同じように一人なのだと教えてくれたのです。その思いを手紙に書いたところ、すぐにお返事をいただき、文通が始まりました。
最近、読み返してみたら、「今お米の値段が上がっているけど、ミホちゃんの家は大丈夫ですか」と書いてありました。母子家庭だった私を、心配してくださっていたのだと思います。
もし「大丈夫じゃない」と返事を書いていたら、きっとお米を送ってくださった。そして、私だけでなく、たくさんの子どもたちに「おなかはすいていませんか」と気を配っていらしたのだと思います。
そして19歳のとき。東京・代々木の路上で偶然お会いしました。そのとき、がんで床に伏していた母のことを、すぐに気遣い、その場で電話までして励ましてくださった。人生で一番つらい時期に、2度も救ってくださったのです。
――「あんぱん」の戦争パートは重厚で、長く描かれていました。その後の展開にも戦争の影が漂い、「これでもか」と言うほど戦争を描き続けていました。なぜでしょうか。
最初に書いた企画書の1行目は「正義は逆転する」でした。
やなせさんがご自身の戦争体験を言葉にし始めたのは晩年に近づいてからですが、作品を読み返すと、戦争やその悲劇が、表立って語られていない時期にも底流としてずっと流れているのを強く感じたのです。
私がお会いしていた10代の頃、やなせさんは戦争の話をほとんどなさいませんでした。
晩年になって、「語らねば」という思いに至られたのでしょう。「正義は逆転する。では、逆転しない正義とは何か」。それは、おなかをすかせて困っている人に、一切れのパンを差し出すこと。アンパンマンの神髄はそこにあります。やなせさんはずっと、そのことを描き、貫いてこられたと思います。
――今回のドラマはやなせた…