- 【前編】私は堕胎失敗で生まれた 生まれる前から差別受けた子どもたちがいた
沖縄県内にある国立ハンセン病療養所で1950年代、元気な女の子の産声が上がった。
「やった。これは神様からの授かり物だ」
知念正勝さん(91)は喜んで天を仰いだ。
堕胎処置の失敗を経て誕生した我が子だった。
強制隔離による患者絶滅の政策の下、療養所に強制収容された患者は断種手術で生殖機能を奪われるか、身ごもったとしても中絶を強いられた。
断種か、堕胎か、園外で生むか
知念さんのいた療養所では患者同士が結婚する際、男性が一方的に断種をさせられるということはなかった。だが、代わりに女性が堕胎を迫られるか、園外で産んで子どもを親類に預けることを強要された。
沖縄は戦後の米軍統治下にあった時代、日本の優生保護法の対象外とされたが、堕胎などは50年代後半まで非合法で続けられたという。
「沖縄県ハンセン病証言集」によると、ある女性患者は44年に入所後、6回も堕胎させられた過酷な体験を述べている。
- 【そもそも解説】ハンセン病とは 法の下で進められた「断種と堕胎」
51年に18歳で入所した知…