9月11日(1966年) 秋篠宮妃紀子さまが誕生
1966年のこの日、秋篠宮妃紀子さまが誕生した。学習院大学名誉教授の故・川嶋辰彦さん、和代さんの長女として静岡市内の病院で生まれた。90年に秋篠宮さまと結婚する際、同大学の構内にある職員共同住宅に暮らしていたことから「3LDKのプリンセス」と話題となった。
紀子さまは恩賜(おんし)財団母子愛育会の総裁や日本赤十字社の名誉副総裁などを務めるが、記者の私が注目しているのは、公益財団法人結核予防会の総裁としての活動だ。
結核予防会はかつて「死の病」と恐れられた結核の治療、予防に官民挙げて取り組む組織として、39年5月22日に創立された。同年の結核死亡者は年間十数万人に達し、特に患者や死亡者は青年が多かったという。昭和天皇のきさき・香淳皇后から「官民力を合わせて結核の予防に努力するように」とお手元金50万円が寄せられたことを契機に、結核予防会が設立された。
昭和天皇の弟・秩父宮さまの妃殿下、勢津子さまが創立から55年間にわたり総裁を務めた後、紀子さまは94年4月に2代目の総裁に就いた。それから30年余、紀子さまがどんな活動をしてきたのか。
紀子さまと身近に接してきた人に、結核予防会前理事長の工藤翔二さん(82)=現・同会理事、複十字病院院長=がいる。
工藤さんが紀子さまと初めて会ったのは99年、厚生省(当時)が結核の「緊急事態宣言」を出した時だ。おことばを述べた全国会議の会場でも、紀子さまは大学ノートを取り出し、熱心にメモしていた。その後も、紀子さまは関連の講義や勉強会では欠かさずにノートを持参し、メモをとる姿はおなじみの光景になっているという。
同会の活動のうち、毎年恒例になっているものがいくつかあるが、まず2月に結核予防婦人会の講習会が開かれる。紀子さまは2日間の日程に参加。出席者がグループに分かれて討議する際には、紀子さまは順番にテーブルをまわり、質疑に加わっている。
驚くのは、全国の婦人会メンバーらに配られる全国結核予防婦人会だより「健康の輪」(年3回発行)に、紀子さまが毎回寄稿していることだ。2ページにわたり、字数は3千~4千字ほど。自身が撮影した写真も紹介されている。
2024年11月号では、「金沢市から珠洲市へ」のタイトルで、紀子さま自身が能登半島地震の被災地を訪れたことを書いた。奥能登での健康診断は毎年春に行われていたが、地震で道路が被災し、検診車の走行が難しいために延期に。9月に開催されることを知った紀子さまが現地のスタッフをねぎらいたいと望んで訪れたものだ。
早朝に金沢市を車で出発し…