集中豪雨で堤防が決壊し、新潟県内で15人が亡くなった2004年の「7・13水害」から、7月で20年を迎える。住宅約400棟が全半壊した長岡市中之島地区では9日、教訓を後世に伝えようと、被災者が地元小学生らに体験を語り、犠牲者への追悼の意を込めてヒマワリの種を一緒に植えた。
中之島地区では刈谷田川が60メートルにわたって決壊し、3人が亡くなった。地元の中之島中央小学校や中之島中学校は周囲が水没し、学校にいた児童や生徒らは教職員とともに校舎で一晩を過ごした。
災害の復旧工事に伴って生まれた河川敷に、犠牲者を追悼する目的で整備された「’04(ラブフォー)中之島記念公園」では毎年7月13日、市民団体「中之島ラブフォー隊」が追悼式を実施。3年前からは中之島中央小の児童らとともに、ヒマワリの種を春に植え、式典当日に満開になるように準備してきた。
雨が降った9日朝。ラブフォー隊の原田敏会長(74)は、バスの中で待機する同小3年の51人に、当時の写真や被害状況をまとめたパネルを示しながら、「水が街の中に入ってきて、家が壊れたり車が流されたりしました」と説明。「今後も同じようなことがあるかも知れないので、そんな時にはどこに避難すればいいか、家族と話してください」と呼びかけた。児童らからは「水害は何日続いたの」「学校に残った人たちはご飯を食べられたの」などと質問が相次いだ。
参加した片桐心媛さん(8)は、この日の話で水害があったことを初めて知ったという。「びっくりした。帰ったら、どこに逃げるか、家族と相談したい」
小雨になるのを待ってバスから降りた児童たちは、プランターの土の中にヒマワリの種を一粒ずつ、丁寧に植えていった。
当時、自身も経営する通信工事業の事務所が水没する被害に遭ったという原田会長は、「教訓を語り継いでいかなければならない」と話す。20年の節目となる今年の式典当日には、当時、救助に努力してくれた自衛隊などに感謝を伝え、犠牲者を供養する踊りを住民たちで披露しようと計画しているという。(白石和之)