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自宅のリビングで電動車いすに座る新井英夫さん。壁には仕事で使うさまざまな楽器がかけられている=2024年5月15日午後、東京都北区、関田航撮影
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 ダンスアーティストの新井英夫さん(57)は2年前、筋肉が徐々に衰える難病、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断された。日々動かなくなる体に絶望する日もある。それでも、表現活動はやめない。

 「不自由の中にも自由な表現があることを模索していきたい」

 病気になり外出がしづらくなってからも、できるだけ対面でワークショップの仕事を続けてきた。働くことが、社会とつながるパイプになるからだ。

 車いすに乗って電車通勤し、積極的に街に出る。子どもたちがじっと車いすを見つめていると「かっこいいでしょ」、若いカップルには「重いから手伝って」と声をかける。「僕を教材にして、困ったときは頼っていいんだよ、と伝えたい」

 新井さんは演劇やダンサー活動の経験を経て、10年あまり前から幼稚園や高齢者施設などでワークショップを開くようになった。闘病生活に入るまでは、年間150回近くを数えていた。

感じた体の異変 身体表現続けるかたわら

 教えるのは、決まった振り付けを覚えたり、技術を競ったりするダンスとは異なる。自分の中でわき起こった感覚を即興で表現するダンスや無理のない体の動かし方。新井さんは自らを「体奏家」と名乗る。体の力をできるだけ抜いて、重力を感じながら体をほぐし、ゆるめることを大切にしている。

 原点は、東京芸術大名誉教授の故野口三千三氏が創始した「野口体操」。戦時中に体育教師をしていた野口氏が考案した、戦後、戦うための強靱(きょうじん)な体作りではない、重力に身を任せた楽な動きを追求したもので、新井さんは、学生時代に野口氏の教室に通い、影響を受けた。

 各地を飛び回っていた新井さんが体調の異変に気づいたのは、3年前の秋ごろ。転びやすくなり、足がつるようになった。そういえば疲れやすくもなった。

 様々な検査を受け、2022年夏、筋萎縮性側索硬化症(ALS)と診断された。

 今は、車いすで生活している。今年の正月には箸を持てていたが、今は食事の介助も必要になった。

 一般的には発症から2~4年ほどで人工呼吸器をつけるかどうかの選択を迫られる。話せなくなったときのため、自分の声を録音し、読み上げ機能があるシステムに蓄積している。

病気で得たのは「負荷」じゃなくて「付加」価値

 身体表現を続けてきた新井さ…

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