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避難所にいた被災者たちが理由を知らされないまま誘導された国道トンネルの中。約1時間前に東京電力福島第一原子力発電所3号機が水素爆発していた=2011年3月14日午後0時6分、岩手県釜石市の国道45号鳥谷坂(とやさか)トンネル、菊地信平さん撮影
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 三陸沿岸の岩手県釜石市で、小さな写真館を営んでいた男性がこの春、急逝した。震災直後から、被災地でシャッターを30万回以上、切り続けた。彼を駆り立てたものは一体、何だったのだろうか。

 菊地信平さん、享年75歳。冬でもビーチサンダル、夏でも白い長袖シャツ。老眼鏡は、時に頭の上に載せる。なじみの喫茶店に出かける時も、外の撮影に向かう時も、そんなスタイルを貫いた。

 人生が急展開したのは、還暦を過ぎた頃のことだ。父親が始めた小さな写真館を長男らに引き継ぎ、好きな競馬を楽しみながら気ままに過ごすはずだった。あの日、津波に襲われるまでは――。

 2011年3月11日。地震と大津波警報が鳴り響いた市街地で、写真館から仕事用の一眼レフを持って、表に飛び出した。

 近所の高齢者らが路地に立ち尽くし、奥を見ている。奥の交差点から水と大量のがれきが迫ってくる。

レンズに迫ってきた大津波の先端

 シャッターを切った。

 水は津波の先端で、市街は壊…

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