明るく軽やかな作風の米国人アーティスト、キース・ヘリング(1958~90)は、核戦争の脅威が高まった冷戦期、被爆地・広島を訪れていた。世界で唯一ヘリングに特化した美術館「中村キース・ヘリング美術館」(山梨県北杜市)が、初めてその足跡を調査した。
「HIROSHIMA」の文字の下で、2羽の鳥が上下に揺れる。ライブ会場で、音楽に乗ってジャンプする人たちのように。
1988年、ヘリングが描いた線画だ。その年の8月5、6日、広島市で原爆養護ホーム増設のために開くチャリティーコンサート「HIROSHIMA ’88」のメインイメージとして、ポスターやチラシなどに使われた。
開催が近づいた7月28日、ヘリングは広島を初めて訪れた。広島平和記念資料館を見学し、原爆で亡くなった人びとの頭蓋骨(ずがいこつ)の山、放射能による後遺症や溶けた顔の写真などを目にした。
《今日という日は絶対に忘れない》
その日の終わり、滞在したホテルの便箋(びんせん)2枚にあふれる思いをつづり、米ニューヨークのスタジオマネジャーにファクスしていた。
《人生で最もハッとした恐ろしい経験のひとつだった。実際に見るまでは想像もつかない》
この日の日記には、軍拡競争…