カイシャで生きる
赤字で左遷、ある出来事がきっかけで社長へ指名、その後の早期退職。吉本興業でのサラリーマン人生とその後の生活をお伝えします。
隣に座るタレントの島田紳助さんが、紺色のハンカチで何度も目元を押さえる。一斉にたかれるカメラのフラッシュがまぶしい。
2011年8月23日の深夜、吉本興業(社名は当時、以下同)の東京本部。島田さんが会見を開き、芸能界から引退すると発表した。
暴力団関係者との親交について記事が出るらしい――。そんな情報から、数時間ほど前に開催の決まった会見だった。駆けつけた芸能リポーターや記者らは200人近く。
吉本興業の子会社でタレントのマネジメントを手がける、よしもとクリエイティブ・エージェンシーの水谷暢宏(のぶひろ)社長(61)は、島田さんの隣に座り、会見にのぞんだ。自身、人気絶頂だった島田さんの幕引きに驚いた一人だった。追及を続ける記者を見て思った。
「まるでピラニアや」
会見は1時間近くで終わった。
このとき、水谷さんは社長になって1年余り。この後も、不祥事やコンプライアンス関係の対応が続くことになる。体を壊して早期退職を選ぶ人生になるとは、まったく想像もしていなかった。
よしもとの社長として珍しい…