「全員が被災者」。金沢泉丘高校(金沢市)の新聞部はそんな見出しを掲げて能登半島地震の後、最初の新聞を発行し、取材を続けている。能登地域を訪ね、受けた衝撃を素直な言葉で記事に託し、同世代に関心を持ち続けてほしいと願う。
元日の地震を受け、全校生徒に速報新聞を配ったのは1月22日のことだった。
貯水槽に砂が入り食堂が1週間使用できなくなったことや図書室前の廊下の壁にひびが入ったこと、美術室の石膏(せっこう)像が壊れたことなど同校の被害を報じた。
新聞部長で3年の藤井小春さん(18)は「実際に体験して自分ごとになった」と話す。金沢市内でも震度5強を観測。藤井さんにとっても、今まで体験したことのない大きな揺れだった。
始業後の1月9日に20人ほどの部員が集まり、「被災地の近くにいる自分たちが、一番積極的に伝えなくてはいけない」との思いを確認した。部として能登半島地震を取材し、伝えていくことを決めたという。
3月2日には初めて奥能登地域に入った。希望した部員3人が顧問の車で輪島市を訪問。倒壊した家屋や、大規模な火災があった輪島朝市周辺を目の当たりにした。
現地に行った2年の大友涼平…