「おとんは、帰ってよかったんちゃうかな」
6月10日、石川県珠洲市の粟津地区。地震でがれきと化した家屋を前に、隣にいた次男がつぶやいた。
「そうかもしれんな」
大阪府から訪れた呑田(のみだ)順子さん(77)は震える声で答えた。
がれきとなった家屋は、夫の喜三代(きそよ)さん(当時75)が、2年前に大阪から1人で移り住んだ自身の実家。喜三代さんはここで被災し、亡くなった。
281人が亡くなった能登半島地震の発生から7月1日で半年。あの人は、もういない。けれど、残してくれた記憶や思いは、消えることなく継がれていく。
喜三代さんは、長男として珠洲市で生まれ育った。高校卒業後、大阪の建築会社に就職。働きながら夜は大学に通った。
仕事ぶりは丁寧で、職場の同僚だった順子さんは「口下手やけどまじめ」と感心していた。やがて2人はひかれあい、3人の子どもが生まれた。
喜三代さんはその後、独立して工務店を立ち上げ、建てた家の修理を材料代だけで請け負うなどして評判を得た。順子さんは「いつも仕事一筋の人だった」と振り返る。
そんな夫が2022年5月、前触れもなくつぶやいた。
「能登に帰るわ」
70歳を過ぎてひざを痛め…