Smiley face
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米ワシントンで2021年1月6日、トランプ前大統領の支持者らによって襲撃された連邦議会議事堂=AP
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トレッシー・マクミラン・コットム

 米大統領選のテレビ討論会を、私はアイルランドのパブで見た。隣に座っていた男性は、私を米国人だと見抜いた。「お気の毒に。どうしようもないね」。討論会がまだ終わらないうちに、彼はそう言った。米国人であることをつらく感じる1週間を過ごしていた私は、男性の言葉にうなずき、彼の同情を受け止めた。

 私にとって自分が米国人であることを自覚するのは、米国にいないときだけだ。入国審査で青い表紙のパスポートを持って別の列に並ぶ瞬間から、米国市民であるということが、人種や性別、宗教よりも雄弁になる。自分たち米国人に何が起こっているのかをしっかりと理解するために、私はあの討論会を国外から見る必要があったのだろう。

 政治の専門家や解説者をざっと見渡すと、ある共通認識が形成されつつあることがわかる。バイデン大統領の戦いは最終盤にさしかかっていて、審判は判定を下さないが、おそらく下すべき状況にあるというものだ。

 私はいつも、ニュースや世論調査にすべて目を通してから、一般市民の政治談議に耳を傾けるのだが、それらはプロの政治ウォッチャーの意見とは異なる場合が多い。バイデン氏の信奉者を非常に不安にさせるのは、今回はその両者の意見が一致していることだ。筋金入りの民主党支持の有権者でさえ、バイデン氏の衰えぶりが、トランプ氏が2期目となる大統領の座をつかむ道を開いていると見ているのだ。

 あの悲惨な討論会の数日後、米連邦最高裁判所はついに大統領の刑事免責について判断を示した。その内容は、共和党を支配する者は法を犯す力も手にする、というメッセージとしか理解のしようがない。大統領選に勝とうが負けようが、トランプ氏は共和党の一切合切を握っている。その意味するところをこの国が完全に受け入れているのかどうか、私にはわからない。

かつて民主主義の中心だった国はいま……

 最高裁の判決が示されたとき…

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