Smiley face
写真・図版
アジアン・カンフー・ジェネレーションの後藤正文さん

 東京都知事選挙の喧騒(けんそう)が過ぎて、ゆっくりと選挙や民主主義について考えている。

 今こそ、これまでの都政の問題や今後の課題と展望が語られるべきだと思うが、落選した候補者に焦点を合わせた情報ばかりが様々なメディアで目につく。政策ではなく人柄に注目したほうが娯楽として商売になるのかもしれない。

 選挙を重ねる度に「投票へ行こう」と呼びかけるアーティストが増えているのはとても素敵なことだと思う。一方で、選挙だけでいいのだろうかとも考える。投票だけが、唯一の、私たちができる民主主義への参加だとは言えないし、そう考えてはいけないように思う。

 私たちが選挙の外側で社会の課題について話し合うことや生活のなかで接する様々な問題に対して協働することをやめ、選挙制度とその結果だけに政治を任せれば、意思決定は限られた人たちだけのものになってしまう。その先にあるのは専制だろう。人類学者のデビッド・グレーバーは著書「民主主義の非西洋起源について」で、民主主義という言葉が市民の代表者を投票で選出するシステムとみなされたのは近年になってからだと指摘した。平等志向の意思決定プロセスはむしろ、多数派が少数派を従わせるような国家の強制力が及ばない、様々なコミュニティーで生じてきたのだと彼は言う。

 多数派と少数派を作ってしまう選挙の外側で、私たちはどのように意思決定に関わればいいのか。それは政治が多数派だけのものにならないように、広く社会に存在する不平等や不公正を見つめて、話し合い、声を上げ、場合によっては自分の考えを改めながら、それらを続けることではないかと思う。

 選挙中に話題になった「ひとり街宣」を思い浮かべる。同じように街頭に立つ勇気や時間を持てなくても、肌身ひとつの、ローカルな社会参加への意志を見習いたい。(ミュージシャン)

 ◇毎月第4日曜日に掲載します。

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