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「語り継ぎボランティア」の大学生、片岡優美さん(左)と夏目和佳さん=戸村登撮影
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 芝生を駆け回る子どもたちやくつろぐ家族連れ。憩いの場として多くの人に親しまれているこの公園がある場所にはかつて、東洋一と評された海軍の兵器工場があった。そして、79年前の重く、悲しい歴史も背負っている。

 1939年に開庁し、5万人以上が働いていた「豊川海軍工廠(こうしょう)」(愛知県豊川市)。太平洋戦争が終わる直前の45年8月7日、米軍のB29爆撃機などが3千発を超す爆弾を投下し、工廠一帯を破壊し尽くした。2500人を超す犠牲者の多くは、動員学徒を含む10~20代の若者たちだった。

 高齢化などにより、当時を知る語り部が減るなか、2018年に開園したのが「豊川海軍工廠(こうしょう)平和公園」。豊川市が工廠の跡地に残されていた遺構を芝生広場などとともに整備した。園内の市平和交流館では工廠についての資料や写真などを展示し、20~80代の「語り継ぎボランティア」が活動している。現在、登録は65人で、1日4回、戦争体験者から引き継いだ記憶を来園者に語り継いでいる。

「ここに私がやれることあるんじゃないか」

 京都市の大学3年生、夏目和佳(のどか)さん(21)は豊川市出身。国府高校(同市)3年の時、活動に参加することを決めた。

 生徒会の役員だった夏目さん…

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