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小松大谷―大阪桐蔭 試合後、引き揚げる大阪桐蔭の選手たち=林敏行撮影

 大阪桐蔭の夏は終わった。多くの選手が2018年の春夏連覇した世代に憧れた「日本一になりたい思いが強いチーム」(西谷浩一監督)。選抜はベスト8で敗退し、春の近畿地区大会大阪府予選は準々決勝で敗れ、この夏は「逆襲」をテーマに掲げた。選手たちの努力と、周りからの支えを振り返る。

 「1球1球、試合を想定している」。練習で最も意識してきたことだ。言葉通りに練習では実践形式を多く採り入れてきた。

 大会期間中も練習は試合形式を中心に組み立てた。走者一塁、エンドラン――。アウトカウントを含め、様々な場面を想定しながら守備も打撃も本番さながらに1球1球を追った。

 全国から有望な選手が集う分、レギュラー争いは苛烈(かれつ)を極める。

 練習でも常に全力で、石田寿也コーチは「手を抜けない子が多い」。スタメンだった選手がケガをして離脱することもあった。

 背番号18の川上笈一郎(そういちろう)投手(3年)は入学直後から右ひじと肩を痛め、計1年間苦しんだ。だが「落ち込むだけじゃなく一歩ずつでも成長しよう」と自作の野球ノートを作り、1日1ページ、小さな目標を書いては達成するようにした。ノートは3冊になった。

 副主将の山路朝大(あさひ)二塁手(同)は1年秋に右足首を手術し、治療に半年を要したが、仲間から「はよ戻ってこい」と励まされた。内山彰梧一塁手(同)は秋で腰を痛め、選抜前は脱臼に悩まされた。「他の人が練習してないときこそやろう」と寮で毎晩素振りを続け、背番号13ながら大阪大会でチームトップの11打点を挙げた。

 夏の大会直前の6月、左ひざを疲労骨折した吉田翔輝外野手(同)は自他共に認める負けず嫌い。「落ち込むのは性に合わない」と大阪大会途中に間に合わせ、選手権大会1回戦では打っては3打点、守っては五回にダイビングキャッチするなど攻守で活躍を見せた。

 ケガをしても諦めずにベンチ入りをつかむ選手もいる一方、回復が間に合わず落ち込む選手もいる。石田コーチは「何とかしたる」と言えるように、メンタルトレーナーの資格を取得した。

 「最前線で戦うメンバーが日本一を目指すなら、メンバー外もそれにふさわしい応援をするのが責任だと思う」。応援団長の清本怜努(れおと)内野手(同)は目立ちたがりではない性格で最初はその役目にためらいもあったが、最後までスタンドで声を張り上げた。

 仲間からの勧めで記録員を務めた岡田直也内野手(同)は、ベンチを盛り上げた。大阪大会中は「メンバー外を代表して戦う」という意味を込めて、試合前の準備運動でBチーム専用のユニホームや背番号21を着けて共に声を出した。さらに、試合前にある円陣の一発芸は前日から考え、選手がリラックスできるように腐心した。

 選手の努力と周りの支えで進んだ甲子園。小松大谷(石川)との2回戦は六回まで投手戦となったが、七回に悪送球で先制点を許してから流れを取り戻せなかった。

 ただ、若い力は確かに育っている。2回戦で先発したのは2年の森陽樹投手。1回戦では同じく2年の中野大虎(だいと)投手が先発し完封勝利した。バッテリーをくんだのは2年の増田湧太(ゆうた)捕手。甲子園の舞台を経験した2年生たちは、15日から新チームに向けた練習を再開している。

 試合後、宿舎に戻ってから西谷監督は3年生に何度も語りかけた。「春から本当によくなった。この負けで全部をなかったことにするのはもったいない。先を見てほしい」。3年全員が次のステージで野球をつづける。「逆襲」はまだ始まったばかりだ。(西晃奈)

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