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東海大相模―広陵 六回表東海大相模1死二塁、藤田の適時二塁打で生還した走者日賀を笑顔で出迎える岡村日和記録員(手前)=有元愛美子撮影
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(16日、第106回全国高校野球選手権大会3回戦 神奈川・東海大相模8―1広島・広陵)

 5年ぶりの夏の甲子園大会となった東海大相模が広陵を破り、8強入り一番乗りを決めた。

 岡村日和マネジャー(3年)は記録員として甲子園球場のベンチに入り、チームメートを励ました。

 試合後「ヒットを連打して点数を取ることができた。しっかり甲子園でもつなぐ野球を見せれたので良かった」と振り返った。

 初戦の12日は、朝から緊張で手が震えていた。

東海大相模で女子マネジャーが甲子園でベンチ入りするのは、初めてのことだった。

 試合の途中。緊張がほぐれてきた選手らを見ているうちに、甲子園が相模原市の学校グラウンドに見えるほど落ち着けた。

 祖父が監督をしていた少年野球チームの子どもたちが、アルプス席で応援しているのが見えた。

 「おじいちゃんも、どこかから見てくれていたらいいな」

 三重県出身。野球一家の長女として生まれ、小学1年になると、祖父が監督を務める少年野球チームに入った。

 しかし、直後に祖父が末期がんとわかり、急逝した。野球を始めてから約2週間後、自身の誕生日前日のことだった。

 「せっかく大好きなおじいちゃんがいるから、野球を始めたのに……」

 傷心の岡村マネジャーは誰にも言わず、幼心にこう決意した。

 「おじいちゃんの分まで野球しやんと(しないと)」

 中学では体格差などを考慮してソフトボールの道に進んだが、「野球に関わりたい」という思いを持ち続けた。

 そして、部活を引退した中学3年の秋、運命の出会いがあった。

 愛知県内であった中京大中京と東海大相模の招待試合。父と2人で見に行き、縦じまのユニホームで躍動する選手らに目を奪われた。

 「選抜大会で優勝したばかりだったんですけど、生で見たらオーラがすごくて。絶対に相模のマネジャーになるって決めました」

 そこからは、部署異動して横浜市内に拠点を作ってくれた父の後押しもあり、とんとん拍子に東海大相模に入学した。

アドバイスは「分かったふりをしない」

 野球部のマネジャーになるた…

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