■高校数学でケプラーの法則
武藤徹さんは、高校数学の名物教師で、著作が40冊以上ある数学思想家でもあった。小学生、一般向けから大学数学の教科書まで。大東文化大元講師の三浦基弘さん(81)は、後期のほとんどの著作で編集者として伴走した。「武藤先生は相手の存在を認め、決して偉ぶらない。会った人のほとんどがファンになってしまう」
一貫して勤めた都立戸山高校では、男女とも生徒には「さん」付け。敬語で話した。教科書は使わない。すべて手書きのガリ版刷り。最初の授業が「A=BならばB=A」で始まる。進学校の高校1年数学で、生徒は驚き、受験を不安に思う者もいた。だが、ラジカル(根源的)な授業は、高3最後にケプラーの法則を高校数学だけで証明してしまう、高度な学問体系だった。
神戸市出身。1944年に東京帝国大学理学部数学科に入学し、矢野健太郎さんのゼミに入る。しかし、ゼミではむしろ矢野さんに講義するほどの実力だったという。
戸山高校で武藤さんに学んだ吉田克明日大元教授(数学・76歳)は、「矢野ゼミでは、ポントリャーギンの『連続群論』を、武藤先生が講義していたそうです。まだ和訳がなかったので数カ月でロシア語をマスターし、10ページずつ暗記して講義した。矢野先生はその後、微分幾何の大家になったが、武藤先生がいなかったらどうだったろうか」。
大学卒業時、国公私立大の複数から招きがあったが、迷わず、都立第四中学校(現都立戸山高校)の数学教師を選んだ。「数学者になれば、定理の一つや二つは発見できるかもしれない。でも、教師として一万人以上の生徒に接した方がいい」。生前、武藤さんはそう語っていた。
「私は進路の決まった人ではなく、これから進路について考えようという人に魅力があった。相談相手として役に立つと思ったからである」と、「武藤徹著作集 第5巻」には書いている。
◇後半は、戦争体験した武藤さんの市民としての姿に触れます。アロハ記者との縁も。
■平和を守るための科学的思考
もう一つの理由に、戦争体験…