Smiley face
写真・図版
東北電力女川原発に近い飯子浜漁港。震災後、奥の高台に新しい住宅が建った=2024年8月18日、宮城県女川町飯子浜、柳沼広幸撮影
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版
  • 写真・図版

現場へ! 女川「被災原発」の足元で①

 親潮と黒潮がぶつかる三陸沖は漁業が盛んだ。三陸の南、太平洋に突き出た牡鹿(おしか)半島(宮城県)は急峻(きゅうしゅん)な地形。リアス式海岸のわずかな平地に集落が点在する。2011年3月の東日本大震災の大津波で多くの犠牲者を出した。

 半島の中ほどに東北電力女川(おながわ)原発(宮城県女川町、石巻市)がある。震災の津波で重油タンクが倒壊、2号機建屋の地下は約2・5メートル浸水した。外部電源4回線を失ったが、残った1回線で原子炉を冷やし、東京電力福島第一原発(福島県大熊町、双葉町)のような過酷事故は免れた。2号機は安全対策工事を終え、11月ごろの再稼働に向けた行程を着々と進める。

 原発から約1・5キロ西側の女川町飯子浜で暮らすホタテ養殖漁師の阿部一男(63)はあの時、原発に避難した。

 海沿いの民家約30軒は津波で流され、住民7人が亡くなった。外出先にいた阿部も自宅手前の浜で津波にのまれ、必死に浮かび上がって建物につかまった。強い引き波が来たら助からなかった。

 自宅にいた妻と母は山に逃げた。バキバキバキッ。音をたてて家が流された。寒さに震え、夜明けを待った。

 「どうぞ、避難してください」。妻と母と自宅近くで再会した翌朝、原発から来た人に声をかけられた。原発にはすでに近くの浜から住民が避難しているという。

 原発に歩いてたどり着くと暖…

共有