Smiley face
写真・図版
吉行淳之介、島尾敏雄、谷崎潤一郎の作品

 病気のヒロイン、死ぬヒロイン――。昔の小説にはしばしば、おきまりのパターンのヒロインが登場します。それは時代とともに変わりつつあるのでしょうか。文芸評論家の斎藤美奈子さんに聞きました。

ヒロインが映すもの② 文芸評論家・斎藤美奈子さん

ドラマや映画、小説などの創作物に登場する女性たち。その描かれ方は時とともに移ろってきた。「ヒロイン」には何が映されているのか。変化の背景にあるものとは。インタビューシリーズで考えます。

 ――1994年の評論デビュー作『妊娠小説』以来ずっと、斎藤さんは古い文学作品を現代の視点で読み直してきました。

 私にとって日本文学の世界は「なんなのこれは」だったんです。

 似たような展開が繰り返し出てくるし、「名作」とされる作品も違和感バリバリで感情移入できなかった。中でも、妊娠がモチーフになった作品の多さにはずっと疑問がありました。それで書いたのが『妊娠小説』です。

 望まない妊娠をしたヒロインの多くは相手の男性のろうばいぶりを見て中絶しますが、妊娠が男の成長の糧にされるって何なのさ、と。彼女のほうが心身の傷は深いはずなのに、そこには思いが至らない。1970年代のウーマンリブから始まった第2波フェミニズムは、性や生殖の自己決定権を主張する運動でもありました。ですが、その種の社会的な視点もない。

『男流文学論』に怒った人々

 ――そうした疑問が長い間発信されなかったのはなぜでしょう。

 作家も批評家も男性中心でしたしね。『妊娠小説』の2年前、上野千鶴子さん・小倉千加子さん・富岡多恵子さんの鼎談(ていだん)『男流文学論』が出版されました。「女流」という差別的な呼称への皮肉も込めたタイトルで、三島由紀夫、吉行淳之介、村上春樹といった有名作家の作品を、フェミニズム批評の観点で、単純にいえばこき下ろす。「女の目から見るとひどいよね」といった井戸端会議的な鼎談で、大きな話題になりました。

 97年に文庫版の解説を書くことになり、この本の書評をまとめて読んだら、評者はほぼ男性で、ほぼ全員が怒っている。女性に批判されると、みなさん、こんなに不機嫌になるのかと興味深かったです。当時はまだ文壇も男社会から脱却しきれていなかったのでしょう。

 ――文壇が男社会だったことは、作品の中のヒロイン像にも影響しているのでしょうか。

 そもそも日本の近代文学は、「悩めるインテリ青年」の物語が主流だった時代が長く、女性の主人公が少ない。そのためか、日本には『風と共に去りぬ』のスカーレット・オハラのような、だれもが知っている「ザ・ヒロイン」がいませんよね。

 男性が主役だと、女性はどう…

共有