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津波が襲った自宅前の海を眺める新川純冬さん。「地震前は友達と海で遊んで冷やしたスイカを食べた。海岸が隆起して海が浅くなったみたいだ」=2024年6月19日午後5時9分、石川県珠洲市三崎町寺家、金居達朗撮影

 穏やかな海の水面が、きらきらと光る。

 石川県珠洲市三崎町の海沿い。県立飯田高校野球部の新川純冬(にいかわじゅんと)さん(2年)が道すがら、口を開いた。

 「学校からの帰り道、自転車を押しながら空を見上げると、星がきれいで、波の音がして。いいなって」

 自宅の前に砂浜が広がる。暮らしとともにあったその海は、元日の能登半島地震で津波となり、自宅を全壊させた。

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自宅前に立つ新川純冬さん。津波で車が突っ込んだという1階にブルーシートが張られていた=2024年6月19日、石川県珠洲市三崎町寺家、小崎瑶太撮影

 それでも6月、高校野球の取材に訪れた私(25)が何かを問う前に、新川さんの口からは被災のつらさではなく、地元への思いがにじむ言葉が次々こぼれた。

 横浜で育った私は、空を見上げるより足元を気にしてきた。新川さんの言葉は新鮮だった。

 思い出したのは、1月2日の能登の海だ。

 新人記者として金沢総局に配属されて9カ月。元日の揺れの直後、マイカーに乗り込んで北へ向かった。

 七尾市内で夜を明かして翌朝、珠洲市に向かって走り出し、息をのんだ。

 青い海に朝もやがかかり、本当にきれいだった。

 倒れた家屋が道路をふさぎ、目の前に地割れが続いているのに、いつまでも見ていたかった。

 一方で怖さにも心が震えた。

 土砂が崩れた脇を何カ所も通…

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