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祇園のお茶屋の女将、てる子さん=2024年9月30日午後5時18分、京都市東山区、新井義顕撮影

 生まれ育った京都・祇園で、お茶屋の女将(おかみ)を務め、バーも経営する。てる子さんは16歳で舞妓(まいこ)、19歳で芸妓(げいこ)になり、バーは開店から半世紀を迎えた。てる子さんと花街(はなまち)との関わりは70年を超す。「一見(いちげん)さんお断り」など独特のしきたりを保つ花街だが、時代の変化とともに続けるのが難しい面もある。外国人観光客らの見物でにぎわう小路に面した店で、町への思いをうかがった。

 ――50周年おめでとうございます。時代とともに祇園町はどう変わりましたか。

 そうどすな。おぎゃーと生まれて87年どすか。戦争もあったさかいに、舞妓はんに出してもろうて、この歳(とし)まで生きられたのはありがたいと思うてます。50年前からのお客さんはもうお孫さんの代になってます。今は接待費もなくなりましたからね。だんだん個人のお客さんになってきますわね。近頃はお友達の紹介で女性もお越しになります。

 舞妓、芸妓は私らのとき400人以上いたのがいま80人くらい。お茶屋さんかて300軒くらいあったんが、稼働しているのは45軒ぐらい。コロナもありましたし。そんな100年に1回くらいの大層なことに遭うとは思いもしませんでした。時代が変わって今では外国の人ばかりが歩いてくれはるさかいに。日本語が聞こえへん花見小路になりましたな。

てる子さん

本名・吉田久枝。1937年京都・祇園生まれ。戦時中は一時、亀岡に疎開した。舞妓、芸妓を経て、お茶屋「京屋」の女将となる。バー「ぎをんてる子」も経営。店には内外の著名人が集まる。

 ――舞妓になったきっかけは。

 家には母と七つ上の兄がおりました。この祇園町では、女の子が生まれた方がおめでとうさんて言ってもらえる町どすわな。祖母の代からお茶屋さんの女将。中学を卒業してから自然に舞妓はんになりました。

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小沢征爾さんのサインの入ったポスターが飾られている=2024年9月30日午後4時14分、京都市東山区、新井義顕撮影

 ――2月に亡くなった小澤征爾さんとは兄妹のような仲だったとか。

 フランスの指揮者コンクール…

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