川崎重工業の子会社で鉄道車両メーカーの川崎車両。2021年の分社化で誕生したのと同時に社長に就任した村生(むらお)弘氏(65)は、新幹線にまつわる重要な課題に向きあっている。自ら一線に立って取り組んできた新幹線の海外展開や、製造した台車に亀裂が見つかった7年前の事案を受けての信頼回復の取り組みについて聞いた。
東海道新幹線60年#インタビュー編
東海道新幹線が10月1日、運行開始から60年を迎えました。速度や乗り心地の「進化」の一方、リニア中央新幹線との共存や自然災害への対応といった新たな課題にも直面しています。深く携わって来た関係者の言葉から、東海道新幹線のいまを探ります
――現在、新幹線では何をつくっていますか。また、どこに向けた車両が多いですか。
「新幹線の車両は1964年の(東海道新幹線)開業前から試験車をつくらせて頂き、0系から色々な形式を出させて頂いた。メーカーとして誇りに思う製品です」
「直近では、JR東日本さんの路線が多いです。現在は山形新幹線の更新車E8系をご発注いただいています。(東北新幹線)E5系はもう今は製造が終わっていますが、(最高時速)320キロが求められるインドの高速鉄道にE5系の派生型を提案しています」
――東海道新幹線はいつまで?
「N700系の最初の型式まで製造していました。JR東海さんには、最初のプロト車(試作車)1編成をつくる時も参画させていただきましたし、それから量産もつくらせてもらいました」
――新幹線づくりで特に技術的に貢献できた点は?
「走行時の音や振動の対策、走行抵抗をできるだけ軽減する先頭車の形状をつくるのには、グループ内の航空機の流体解析技術や風洞試験の設備が活用できます」
「(旧国鉄の民営化で)JRになってからのトレンドとして、メーカーがコンペで提案しますので、そういう中で最適な先頭デザインを提案することで評価されたと思います。そこは川崎重工グループの車両メーカーの強みかなと思います」
――村生社長がこれまで新幹線や高速鉄道に関わってきた中で印象的だったり、大変だったりした出来事はありますか。
「(新車両の)最初の編成をつくる時です。検証作業があり、図面を変えてやり直すなど、部長時代まで主に関わっていた海外案件も含めて、どのプロジェクトでも大変でした」
「(高速鉄道で)最初に関わったのは中国です。2004年に(車両を)受注した時、まさに営業のフロントラインにいました。契約交渉や、知的財産のプロテクションなどがあり、契約的にも納期的にも大変でした。(07年開業の)台湾新幹線の時もそうでした」
――台湾新幹線では主契約企業の3社の中で唯一の車両メーカーでした。海外展開にあたり、どんな点を意識しましたか。
「安全で安定した大量高速輸送です。車両さえ速く走ればいいのではなく、高速運転で安全に動けるシステム全体として新幹線が成り立っているというのが、最初はなかなか理解されませんでした。新幹線の良さは全体がよくコーディネートされているところだと思います」
「台湾には最後はご理解いただきました。ばらばらにやるのではなく、車両と信号と運行管理を含めて、コアなところはコンソーシアムで全部やるというスキームだったのでうまくいったと思います」
■「メインはやはり在来線」…