オペラが重視すべきは生身の演劇性か、それとも音楽への忠誠か。東京二期会が先月上演した「影のない女」は日本のオペラ界への重要な問題提起となった。R・シュトラウスの長大な楽曲を大胆にカットし、曲順も入れ替えるペーター・コンビチュニーの演出方針が「音楽への敬意を欠く」と、公演前からSNSなどで一部のファンの批判を浴びた。
大指揮者を父に持つコンビチュニーは、ブレヒトの演劇改革に突き動かされ、その実験精神を自身の範とし、彼が創設した劇団ベルリーナー・アンサンブルで演出助手として研鑽(けんさん)を積んだ。音楽と演劇の双方を極めた、今や希少な名匠だ。今回は1カ月にわたり日本に滞在。79歳にして初めて、日本のオペラ団体と全くの最初から制作に臨んだ。
映画やドラマならネタバレは御法度。しかし今回二期会は、マフィアの抗争劇になることなど演出の一部を事前に公表した。舞台を近未来の世界大戦後の核シェルターに置き換えた2011年の「サロメ」への大ブーイングが念頭にあった。「内容ではなく、改変そのものへの強い反応があまりにも多かった。プロダクションそのものに関する積極的な議論を導きたかった」(二期会)。
シュトラウスについての著作もある音楽学者の岡田暁生さんによると、「シュトラウス自身、ホフマンスタールの台本の長さと観念性に辟易(へきえき)し、『かったるい。これでは全然筆が乗らない』という意味のことを言っている」。今回のプロダクションについては「生まれてこれなかった子供たちの合唱など、作品の数少ない最高の聴きどころである部分を確信犯的にカットしている。音楽のことをよくわかっているからこその『冒瀆(ぼうとく)』。オーケストラは抜群だったし、この1点において今回の上演は僕は『アリ』だと思います」。
一方で、女性蔑視の作品をそ…