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瀬戸内寂聴さんとの思い出を語る荻野アンナさん=2024年5月23日午後3時56分、横浜市中区山手町、岡田匠撮影
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荻野アンナさんに聞く②

 2021年11月に99歳で亡くなった瀬戸内寂聴さんは初期の小説「花芯(かしん)」(1957年)で、当時の文壇から批判された。芥川賞作家で慶応大学名誉教授の荻野アンナさん(68)は、この作品から、寂聴さんが仏に救いを求める萌芽(ほうが)が見てとれるという。寂聴文学の魅力を聞いた。

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 ――ご両親の介護について教えてください。

 2005年に彼氏が食道がんで亡くなった頃から、両親の病院通いが増えました。

 父は85歳で悪性リンパ腫になり、腸閉塞(へいそく)で危篤状態に陥りました。いったん元気になりましたが、91歳のときに心不全で入院し、その後も入退院を繰り返しました。亡くなったのは95歳です。

 母は腰椎(ようつい)変性すべり症のうえ、肺が悪くなり、気管支炎から肺気腫に移行しました。91歳で亡くなりました。

 両親の介護で大変でしたが、寂聴さんは「それは徳を積んでいるのよ」と褒めてくださいました。その言葉が励みになりました。

 私が母の介護をしていることを、寂聴さんは半分うらやましそうに感じているようでした。

 ――戦後、幼い娘を置いて出奔したことが影響しているのでしょうか。

 寂聴さんは娘を置いてきたことをずっと後悔されていましたから、娘が母を介護する、その関係への複雑な思いが言葉の端々に感じられました。

寂聴さんもプラトンも子宮を生き物に例え

 ――荻野さんは、16世紀のフランスの作家・ラブレーの研究が専門ですが、寂聴文学をどう見ていますか。

 小説「花芯」で子宮作家と呼ばれ、しばらくは文壇から干されました。えらい目にあったわけですが、今、読み返すと、当時の批評は行き過ぎだったと思います。

 寂聴さんは子宮を生き物に例えて批判されましたが、子宮や性器を生き物に例えることは古代ギリシャの哲学者、プラトンにもみられます。男性も女性も体のうちに、抑制の利かない生き物を持っている、と書いています。

 16世紀のラブレーは著書で「プラトンも、女性を、理性的動物と野生動物の、どちら側に位置づけるべきかで迷ったのであります。といいますのも、自然が、女性の身体内部の、秘められたる場所に、男性にはないところの一匹の動物を、一個の器官を、収めたからでありまして」と、プラトンを引いています。

 ラブレーも子宮を1匹の動物に例え、その動物がいかに全身に影響を与えるか、女性の性欲を揶揄(やゆ)しています。つまり、男性が女性の性欲を揶揄することは昔からあったんです。

 ただ、女性作家が自ら、そういう見解を示したのは見あたりません。寂聴さんから始まったと言ってもいいと思います。

女性の業とともに深まる孤独

 ――女性が自由に表現することの難しさを表していますね。

 花芯を読んだ男性作家がおののき、批判する。そういう反応があったことで当時の社会がわかります。

 寂聴さんが花芯で、女性の性欲を冷静に分析して描写していることは非常に新しかったと思います。同時に、寂聴さんの孤独の深まりを感じます。

 ――どうしてですか。

 花芯は、寂聴さんが体験した三角関係を写し取っています。ただ、主人公は寂聴さんと違うタイプで、女性から嫌われる魔性の女です。

 夫を捨てることになった男性と肉体関係を持つと、それが恋の終わりと感じ、次から次へ、ひとときだけの男女関係を求めます。最後には娼婦(しょうふ)になります。女性の業(ごう)を極限まで深めた小説です。

 業の深まりとともに、主人公の胸のうちには、しんとしたガラス球のような真空の球体ができ、「その中に、もう一人の私の小さな像が、ひっそりと坐(すわ)っている」と表現されます。主人公が男性経験を重ねるにつれ、その小さな像が「礦物(こうぶつ)のような硬度をましていくのだった」。

 この表現が、寂聴さんのなかで孤独が深まっていることの象徴のように感じます。将来、仏に救いを求める萌芽が見受けられます。

 ――萌芽とは、どういうことでしょうか。

寂聴さんは「花芯」で批判されても書き続け、代表作「夏の終り」を生み出します。記事の後半で荻野さんが語ります。

 胸のうちにできた真空の球体…

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