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SNSで広がる〝善意〟や〝正義感〟によって追い詰められるのは――

Re:Ron連載「みたらし加奈の味方でありたい」第14回

 日本では衆院選、アメリカでは大統領選……と政治が慌ただしく動いた時期から、少しばかり時間が経った。心がせわしなかった人もいるだろう。気づけば、寒さが身に染みる季節になっていた。

 この冬をどう越えていくかを考えていく前に、世界があっという間に動いてしまう前に、どうしても振り返りたいことがあった。お付き合いいただければうれしく思う。

 ニュースのコメント欄やSNSをひらけば、相変わらず「外国人が増えたせいで犯罪が増えている」「女性の権利ばかり優遇されている」といった意見が目に入る。ときにはSNSを通じ、特定の層を「国民を脅かす存在」として指摘するような政治家の発言が拡散される。SNSはすでに過激な言論やフェイクニュースが際立つような、安全ではない場所になってしまった。人類が使うには早すぎたツールなのかもしれない。

 以前からこの連載でも触れているように、SNSではとくにトランスジェンダー当事者を標的にしたヘイトクライム(憎悪犯罪)が目立つ。米大統領選においても「トランスジェンダーの若者に対する医療支援を禁止する」法律を支持するような投稿はいくつもあった。日本でも、SNSや街頭での発言がきっかけでトランスジェンダーの人々が中傷や暴力を受ける事例が後を絶たない。出所のわからないニュースやデータの切り抜きを用いて、排除するような動きは今でもやんでいない。

 そうした明らかな悪意や差別意識に満ちた言動は、本来であればプラットフォーム側が管理すべきものである。一方で難しさを感じるのは、「それらがすべて悪意に基づいた言動ではない」ということだ。

 差別というものは、必ずしも〝悪意〟が含まれるものではない。むしろ、〝善意〟や〝正義感〟といったものによっておこなわれることがある。私が今回「振り返りたい」と感じたのは、そういった〝善意の人々〟の行動がポピュリズムに利用されることへの絶望感だった。

 おそらく多くの人が「社会の…

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