2004年11月に日韓自由貿易協定(FTA)交渉が中断してから20年が経ちました。一時、交渉再開に向けた動きもありましたが、日韓FTAの締結を望む声はほとんど聞かれなくなりました。なぜ、日韓FTAはうまくいかなかったのでしょうか。中断当時、在韓日本大使館経済公使として交渉に参加していた山本栄二・元駐ブルネイ大使は背景に韓国独特の事情と感情があったとし、交渉の「舞台裏」を明らかにしました。
――日韓FTAは、1998年にシンクタンクによる共同研究から始まりました。
当時は世界的に二国間のFTAがブームになっていました。日本は2002年11月、初めてのFTAをシンガポールと経済連携協定(EPA)の形で発効しました。韓国も04年にチリと初めてのFTAが発効しました。日韓は隣国で地理的に近いため、貿易量も多く、「貿易の自由化を目指すのが望ましい」という声が支配的でした。
――日韓両首脳は03年10月、「05年内の実質的な交渉終了を目標とする」としました。日韓FTA交渉は03年12月から始まりましたが、04年11月の第6回会合を最後に交渉が中断したままです。
私も04年1月に韓国に赴任し、交渉の第2回会合から参加しました。当時、日韓FTA締結は、日韓関係での最重要課題とされていました。全体の雰囲気は悪くなかったのですが、韓国側は鉱工業品の関税撤廃を巡る日本の強気の姿勢に反発していました。
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