産む、産まないの決定権は個人にあり、国が介入してはならない――。1994年、エジプト・カイロで開かれた国際会議で、世界各地の女性たちから「セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(SRHR、性と生殖に関する健康と権利)」の概念が提唱された。最高裁が今年、障害のある人などに不妊手術を強いた「旧優生保護法」(1948~96年)に違憲判決を出した。この30年で、日本社会は変わったのか。当時、会議に参加した安積遊歩さんに聞いた。
カイロの会議で1994年、障害を理由に子宮を摘出された友人の被害を訴えました。
48年に成立した旧優生保護法(旧法)の条項によって、障害のある人への強制不妊手術が横行してきました。旧法の条項は国の人口政策とも密接な関係があり、障害者の自立生活運動にかかわるなかで、会議に向けて女性たちが準備を進めていた集会に知人に誘われて参加したのがきっかけです。
あれから30年。出生前検査が浸透し、おなかのなかから子どもへの評価が始まっています。評価、比較、競争……。優生思想が社会の根底にあり、人々を苦しめています。誰と暮らすか、子どもを産むか、どう生きたいのか。すべて自分で選んでいいのです。
生まれつき骨が折れやすく、小学5年から3年ほど、療育園で過ごしました。
施設の工事に来ていた男性に「この施設の天井裏にはパイプが通っていて、戦争があったらガスが出て私たちは殺されてしまうんだよね」と言って、びっくりされたことがあります。
「自分たちは何かがあったらすぐ殺されるような存在だ」という感覚が、幼いながらにあったのだと思います。
13歳のころに旧法の存在を知り、「自分は『不良な子孫』なのか」と絶望しました。女性としての魅力がないのだと感じ、10代のころはどうしたら死ねるかばかりを考えていました。
結婚を考えた相手の家族に「悪魔、たたり」とののしられ、別れたこともありました。
しかし、障害者運動にかかわったこと、仲間同士でカウンセリングをする「ピアカウンセリング」を米国で学び、多様な家族の姿を知ったことで、「障害がない人に少しでも近づくのがいいこと」という価値観から抜け出し、「ありのまま生きていい」「自分のことは自分で決めていい」と気づきました。
「生まれてきてよかった」と思えるように
旧法が廃止された96年、元パートナーとの間に娘「宇宙(うみ)」が生まれました。結婚はしていません。元パートナーの母は最初、出産に反対していましたが、出産の日、病院に駆けつけてくれました。
娘は私と同じ、骨がもろい身体をもっています。私の介助者や友人、私の講演を聴いたり本を読んだりして自宅を訪れる10代20代の若者など、たくさんの大人の中で娘を育ててきました。
娘が喜びに満ちて、穏やかで「生まれてきてよかった」と思って暮らしてほしいと、願ってきました。
娘はいま、ニュージーランドで暮らしています。「子どもを産んでみるのもいいよね」と話したこともあります。どう生きるかは本人の選択ですが、「命を継承したくない」「産むことはできない」という絶望を娘に渡さなかったのはよかったな、と思います。
分けることが差別につながる
一方で、表向きは「産めよ、殖(ふ)やせよ」の国策はなくなりましたが、「五体満足」な子どもを産むことを迫る社会に変わりありません。
出生前検査、遺伝子検査――…