奄美大島をテーマにした本の出版が、世界自然遺産登録(2021年)や日本復帰70年(23年)をきっかけに盛んになっている。そのさきがけとなった出版社が40年ほど前、鹿児島市にあった。学生運動や反公害闘争の闘士が設立し、十数冊を出したが経営難で廃業。一部の本は復刻され、当時の奄美の姿をいまに伝えている。
2004年に60歳で亡くなった藤井勇夫さん。出身の奄美大島から東京の私立大学に進学し、全共闘議長を務めた。何かにつけて「奄美と沖縄を忘れるな」とアジる(扇動する)ので「アマミ」と呼ばれた。
73年に宇検村に石油備蓄基地を建設する計画が発表されると反対運動に加わった。徳之島に使用済み核燃料の再処理工場計画が浮上した際にも立ち上がった。
30歳だった74年ごろ、父親所有の土地があった鹿児島市に移り、写植業を始めた。社名は、奄美の別名からとって「道の島社」。出版も始め、80年に第1号として母つゆさんが書いた「シマ ヌ ジュウリ」(「シマの料理」という意味)を出した。廃れ行く奄美の料理を解説した画期的な本として評判になり、翌年には南日本出版文化賞を受賞した。
その後、「えらぶの古習俗」…