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津下環さんを囲んで空襲の体験を聞く6年生=2024年7月16日、熊本市西区花園7丁目、花園小学校提供
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 熊本市が戦時中、初めて空襲に見舞われたのは、現在の西区花園7丁目にあたる柿原(かきばる)地区だった。文献に残る、そんな史実の体験者を地元の小学6年生が「発見」した。

 総務省の「熊本市における戦災の状況」にこんな記述がある。

 「熊本市が初めて爆撃を受けたのは、昭和19(1944)年11月21日のことである。在中国米軍機B29、80機が午前10時頃、九州西部に来襲し、花園町柿原に500キロ爆弾10数発を投下した。この時の被害は全焼全壊3戸、死者4名、負傷者5名であった」

 花園小学校の6年生の担任、宮丸賢一(48)と後藤健太朗(28)の両教諭は今年度、「家族の歴史を調べよう」という課題を出した。うまく調べられない子もいて、テーマを「校区の戦時中の歴史」に替えてもよいことにした。すると、ネットで調べて「柿原で空襲があったみたいです」と報告してきた子がいた。

 宮丸教諭は市立図書館で文献を調べ、ネット情報がおおよそ正しいことを確認した。しかし、詳細はよく分からない。そこで子どもたちに「被害にあった人が分かるかも知れない。調べてみて」と呼びかけた。

地元の食料品店に相談したら…

 林田彩生(さき)さんは、地…

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