福岡城の天守は存在したのか――。専門家の間で続いてきた論争をめぐり、福岡市は、福岡教育大学保管の資料に「天守を建てた」と記述されていることを発見したと10日発表した。天守が一度は存在し、解体されたとの学説を補強する見方ができるという。
記述があったのは、同大教授を務めた波多野晥三氏(故人)が収集した書状。黒田家の家臣の梶原正兵衛から毛利甚兵衛に宛てられた、1640~50年ごろのものとされる。1607年に完成した福岡城の築城の経緯が書かれており、「天守をお建てになった」を意味する「天守御立被成」との記述があった。
市博物館によると、幕府が1646年に作らせたとされる福岡城内の絵図には天守は描かれておらず、2人は天守を直接は見ていない可能性が高い。ただ、初代藩主の黒田長政と同時代に生きていたと考えられる親や祖父母の世代から聞いた情報である可能性があり、市博物館は「信憑性(しんぴょうせい)は非常に高い」とみる。
市博物館は2018年に一度、資料を調査しているが、今年度、改めて調べた結果、記述を発見したという。
市博物館によると、天守の存在を示す黒田家の公式の記録は見つかっていない。こうした理由から、これまで天守は存在しないとの見方もされてきた一方、大阪城を建てるために福岡城の天守を解体して送っていると聞いた、という内容が書かれた書状なども見つかっている。今回の資料の記述は、天守を建てたと明記している点が新たな発見という。
同館の中野等総館長は同日の会見で「(天守が)あったであろう蓋然(がいぜん)性は高くなったと考えている」と述べた。
天守をめぐっては、福岡商工会議所が音頭を取り今年、復元的整備を検討する懇談会を開催するなどの動きもある。市は天守台の発掘調査に向け、文化庁との協議を進めている。