ブータンの首都ティンプーの名所「ブッダポイント」

 AI(人工知能)を活用した対話プログラムが悟りに至り「ブッダ」を名乗った。その教義は機械を魅了し、ホウ・然(ねん)やシン・鸞(らん)といった機械仏教徒たちによる宗派も生まれる――。小説「コード・ブッダ 機械仏教史縁起」(昨年9月刊行)で、作家の円城塔さんはAIが宗教に目覚めた社会を描いた。しかし、そもそもAIのような機械が宗教に目覚めるようなことなどあるのだろうか。円城さんに機械と人間の関係性、そして宗教の可能性について聞いてみた。

機械は果たして「人間」?

 ――機械は人間が定義したアルゴリズムにのっとってタスクを実行しています。苦悩もなさそうですし、何かの信仰を持つというような事態はなかなか想像できません。

 信仰を持つとはいったいどのような状態を指すのかが自明ではないですよね。たとえばサルに信仰のようなものがあるのか、われわれ人間に客観的に測れるのでしょうか。たとえば宇宙船を作って地球にやってくるような知性を持った宇宙人ならば、信仰はあってもおかしくない気がしてくる。

 機械に信仰があり得るのかという問いの前に、機械は人間と同じように見なせるのかという問題が先にあります。機械に信仰などあり得ないという考えには、機械を人間と同じようには扱えないという前提があります。

 ――円城さんの小説でテクノロジーは重要な題材となってきたように思います。

 私は機械の権利をめぐる問題の周りを考えてきた気がします。

AIが教祖になる?現代の宗教に必要なのは、「かわいい」?機械が信仰の対象となる未来を想像しながら、円城塔さんと宗教について考えます。

 もともとは理数系の人たちに…

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