東京・秋葉原と茨城県つくば市を結び、1日約38万人が乗り降りするつくばエクスプレス(TX)が今年8月で20周年を迎える。だが今の姿で開業するまでの道のりは、容易なものではなかった。

 日航ジャンボ機墜落事故が起こる1カ月前の1985年7月11日。国の審議会からの答申に、常磐新線の計画が盛り込まれた。

 東京から当時の茨城県守谷町南部までは太い実線。そして守谷から先の筑波研究学園都市(現在の茨城県つくば市)までは点線だった。答申には「需要の動向や沿線地域の開発の進捗(しんちょく)状況を勘案して整備に着手する」などと記された。

 「やった!」。自治省(当時)から茨城県に出向し、誘致活動を担っていた東尾正さん(74)はその日の午後、答申のコピーを見て喜んだ。実現が難しいと思われた茨城までのルートが明記され、つくばまでの延伸も首の皮一枚でつながったからだ。

「千葉止まり」ルート案に反論

 東尾さんの記憶では、新線のルートをめぐって、茨城県と当時の運輸省、隣の千葉県の間にはずれがあった。茨城県は78年の新線構想の発表時から、鉄道整備による地域開発をめざしていた。一方、運輸省は採算性、千葉県は約200%に達した常磐線の混雑解消を重視していた。

 この答申が出る2カ月ほど前…

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