世界的ブランド・ケンゾーの創始者で、2020年に死去した髙田賢三。没後初の大規模個展「髙田賢三 夢をかける」が東京で開かれている今、オールドケンゾーの収集で知られる自称「ケンゾー研究家」の漫画家・瀧波ユカリさんに、ケンゾーのデザインと古着の魅力を聞いた。
「髙田賢三 夢をかける」展
東京・初台の東京オペラシティアートギャラリーで16日まで
――ケンゾーの古着を買い始めたきっかけは
コロナ禍で外で買い物ができなくなりつつあった2020年春、古着屋のオンラインショップで1980年代半ばごろのケンゾーのワンピースを見つけました。世の中はこんな状態だし、着る予定はないけど思い切って買っちゃえ、と。届いてみるとすごく良くて、襟の形が印象的だったり、スカートの内側のほとんど見えない位置にレースが付いていたりと、今の服とは違う感じがあった。
私が子供の頃はケンゾーが流行していて、花柄のハンカチやバッグは田舎でも身近な存在でした。ブランドは今も続いているので、中古市場には昔のものから近年のものまで、大量の古着が出回っているんですよ。いつの時代のどのシーズンのものか判別するためにタグの特徴を調べたりしながら、少しずつ買い集めるようになりました。
――今では少なくとも100点はお持ちとのこと。でも、コレクターとは自称しないのですね
「コレクター」というと集めた服を飾っておくようなイメージですが、私は自分が着る服しか買わないんです。どんなに良いアイテムでも、サイズが小さかったり色が似合わなかったりしたら、涙をのんで諦める。身につけて着心地を知るところまで含めた、自由研究のような気持ちでやっています。
手持ちのアイテムはほとんどが80年代のもの。賢三さんが最も自由に創造性を発揮できたのは70年代だったと思いますが、当時はヨーロッパでの販売がメインだったのか、日本での流通量が少ないんです。70年代に積み上げたいろいろなデザインパターンを基本として80年代に展開しているので、80年代の服を買うと、70年代のどの時期の要素を生かしているかがわかります。
――高田賢三さんのデザインのどこにひかれますか
よく言われることですが、日本と西洋を掛け合わせているところ。襟がちょっと着物っぽかったり、ドルマンスリーブの袖幅が着物の脇の広さのようだったり。ひとつひとつは普通に見えるかもしれないけど、そろえていくと彼のしたかったことが見えてくるんですよね。日本からパリへ行って、そこで自分の表現をしたんだということが、服から伝わってくるのが魅力です。
最初は花柄にひかれて買い始めたのですが、だんだん柄よりも服の作りに興味が出てきました。たとえば今回の展覧会にも出ている、70年代のかすり柄のワンピース。だいぶケンゾーについて知識が増えた頃に買ったのですが、よく知らないうちに見つけていたら意味がわからなかったと思う。肩から袖の縫製が複雑で独特な形をしていて、この服について書かれた論文まであるんです。服を作っている人が見たらもっと発見があると思うけど、服飾の知識がそれほどない私が着ているだけでも、驚くことがたくさんあります。
ケンゾーの服はとにかく着やすいんです。ポケットが付いている服が多かったり、ファスナーの服が全然なかったり、驚くほど軽かったり。そのことは多分、飾ってある状態では気づくことができない。
最近、展覧会に関連した取材で、持っている服を着て展示物と一緒に撮影しました。短い撮影時間の中で上下を着替えてスカーフを巻くんだけど、私が3分ぐらいで戻ってくるのでみんなびっくり。早着替えができるぐらい、「人が着る」ことを考えて作ってくれていたんだなと、そのとき初めて気がついた。服ってそれが当たり前のはずなのに、なんで世の中には着にくい服がこんなにあふれているのか、逆に考えちゃいますよね。
――服の作りに注目するようになって、着こなし方も変わりましたか
自分でいろいろ工夫するようになりました。たとえば、今着ているシャツは詰め襟っぽい形なんですけど、上までボタンをとめずに襟を抜いて着ています。首の詰まった服は似合わないと敬遠してたんですけど、もう抜いて着ればいいじゃんと。布をたっぷり使ってあるから、こういう着方をしても動きが制限されないんです。
私はあまりきちんとコーディネートを考えるタイプではなく、直感で選びます。ケンゾーの服は過去のデザインを展開していることもあって、別々の時代やシーズンのものを組み合わせても合うんですよね。スカーフなんかも花柄のすごく色鮮やかなものがたくさんありますが、すごく合わせやすい。
――古着はどのように買っていますか
メルカリやヤフーオークションをはじめ、フリマサイトやオークションサイト、アプリに出品されているものは全部見ています。残っているのは、私が買わなかったやつです。
Xやフェイスブックを見るの…