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恩赦委員会のアルメイダ委員長(手前右)と握手する、ブラジル沖縄県人会の宮城あきらさん=2024年7月25日午後、ブラジリア、軽部理人撮影
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 南米ブラジルで第2次世界大戦中と戦後に日系移民が迫害された歴史を巡り、過去の人権侵害などを審議するブラジル政府の恩赦委員会が25日、首都ブラジリアであった。委員会は「日系移民を迫害したブラジルの過ちを認め、二度とこのようなことが起こらないよう、後世に語り継ぎたい」として、日系社会に謝罪をした。

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 大戦中、連合国の国々は国内の日本人や日系人を「敵性外国人」として拘束し、米国やカナダでは計14万人以上の住民が強制収容施設に移らされた。両政府は1988年に「歴史の汚点」として謝罪し、生存者に補償している。ブラジルによる謝罪は政府レベルでは初めてとなる。

 ブラジルは大戦中、連合国側につき、日本など枢軸国出身の移民を迫害した。サンパウロ州南部の港町サントスでは43年7月、6500人超の日系移民に対して「スパイ行為」の容疑をかけ、24時間以内に退去するよう命令。移民らは着の身着のままで逃げ、住居や家財道具などの資産を接収される人も多かった。

 戦後の46年には、日本が太平洋戦争で勝ったと思い込んだグループと敗戦を認めたグループが抗争を繰り広げ、日本人20人超が死亡した。この過程で、ブラジルの政治警察は無実の罪で150人超をサンパウロ州東部のアンシエッタ島にある監獄に収監。監獄内では拷問が加えられ、それが元で病気になり死亡した人もいた。

 当事者らは自身の経験を語っ…

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