【福岡】「もしもその日、小倉に青空が広がっていたら、私は今、存在したでしょうか?」
北九州市出身の俳優、吉本実憂さん(27)が鋭いまなざしで語りかける。市が作った映像作品の一場面だ。
青々とした空を背に、吉本さんが話す「その日」とは、約79年前の1945年8月9日。長崎に落とされた原爆は、本来なら北九州へ落とされるはずだった。
当時、兵器工場「小倉陸軍造兵廠(しょう)」が現在の小倉北区に置かれるなど軍都としての役割を果たしていた。
米国は44年6月に造兵廠を空襲。「その日」の前日となる45年8月8日には八幡製鉄所のあった八幡を激しく空襲した。
ただ、大空襲による煙などの影響で、翌日の小倉上空はもやがかかっていたとされる。原爆を積んだ爆撃機B29は数回、旋回したが、視界不良で原爆投下をあきらめ、長崎へ向かった。
こうした悲劇の記憶を風化させないため、北九州市は映像作品「北九州~戦争の記憶~2 私たちの約束」(約21分)を作った。2015年に作成された「北九州~戦争の記憶~私たちへの伝言」の続編にあたる。
吉本さんは1作目に続き、語り手として出演する際、「私にできることは何か考えた」という。
吉本さんの父や祖父母も北九州で生まれ育った。「私は存在したでしょうか」というセリフは「本当にその通りだな」と思い、自然と声に力がこもった。
「逆に、生まれなかった命もある。今を生きる私たちに何ができるのか、考えていただくきっかけになったらいい」
映像作品は、市内の80~90代の女性3人の戦後の体験と、若者たちの平和への思いを織り交ぜた内容だ。「平和のまちミュージアム」(小倉北区)で放映するほか、市内の図書館などでDVDを貸し出す。(城真弓)