太平洋戦争の当時、海軍の艦艇や航空機の燃料製造工場だった海軍燃料廠(しょう)は三重県四日市市のほか、朝鮮半島などに六つあった。そのうち四日市の第二海軍燃料廠と、日本統治下の台湾北部・新竹市にあった第六海軍燃料廠の関係を解明するため、台湾の研究チームが4月下旬、四日市市で現地調査をした。いずれ、研究成果をまとめ、日本で展示したいという。
29日までの約1週間、県内の戦争遺跡を巡り、市民や研究者らからヒアリングして調査したのは台湾・陽明交通大学の頼雯淑(ライウェンシュウ)教授ら。応用芸術が専門分野で戦争を伝承する頼さんの研究チームは、新竹市に残っていた第六海軍燃料廠跡を博物館として保存した実績を持つ。
戦災の記憶を伝えている四日市市の出口敦子さんが昨年、ユーチューブで公開した動画「新・『四日市空襲を語り継ぐ』」を見たことがきっかけで、今回のフィールドワークにつながった。
海軍燃料廠とは、旧海軍の燃料を製造した工場。太平洋戦争中に三重や神奈川、山口、福岡の国内4カ所、朝鮮半島の平壌、台湾の計6カ所にあった。
国内最大級だった四日市の第二海軍燃料廠は1941(昭和16)年に稼働。新竹の第六海軍燃料廠は44年に完成した。
空襲で壊滅の四日市、残らなかった記録
頼さんによると、旧海軍の六…